戦後最大の人気を誇る総理大臣とも言われる、田中角栄氏。その伝説・名言・逸話は数多く語り継がれていますが、いったいなぜここまで彼は愛されるのでしょうか。その秘密が記された一冊を紹介しているのが、無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』の著者で編集長の柴田忠男さん。自身も角栄が大好きという柴田さんが、彼の魅力を余すことなく紹介しています。角栄さんが生きていたら、今の政治に何て言うのでしょうか?
偏屈BOOK案内:小林吉弥『復刻 田中角栄の知恵を盗め』
『復刻 田中角栄の知恵を盗め』
小林吉弥 著/主婦の友社
著者は昭和44年12月、田中角栄が自民党幹事長として300議席を獲得、圧勝した総選挙から、平成5年12月に死去するまでの23年間、田中を取材し続けた。この本は約30年前に出版されたものに手を加えたものだが、今でも充分通用する「人間学ノート」である。男というものは、自分を仕事上生かしきってくれた者を慕う。わたしにそんな上司はいなかった。そんな上司にはなれなかった。
田中が人を魅了した大きな武器は天性のとてつもない「記憶力」である。小学校の恩師、青年時代に同じ職場にいた同僚など関わりあった人のフルネームなどはもちろん、上京した日時、訪問先の住所など正確に思い出す。田中は芸事百般で、持ち歌1,000曲、歌詞の3番まで完璧。地元の道路、橋、トンネルなどの竣工日時、予算などもすべて記憶していた。とくに数字には抜群に強かった。
幹事長時代、日経新聞に「私の履歴書」を連載していたが、出てくる数十年間の日時は日記に頼ることなく、すべてそらで綴られた。各地の影響力のある人物の経歴、選挙区事情は完璧に把握していた。冠婚葬祭に関しては熱心で、総理の激務の最中でもこれを果たし、無役になっても葬式には必ず参列した。
そして演技ではなく人の不幸に一緒になって涙する人物だった。予備調査で故人のデータを頭に入れているから、田中の挨拶で同じものは一つもない。相手の身分、地位に一切関係なく対応する天性の人たらしだった。相手の奥さんを攻略する手際もあざやか。また、下の者ほど、「落ち目の相手」ほど大事にした。だから誰もが「オヤジさんのためならなんでも」と思うのは当然だ。
警視庁麹町署の大きな任務が首相官邸の警護。署員は歴代の首相に仕えてきたが、田中の人気が一番で、「田中さんのためなら、何かあったときにはいつでも命を投げ出せる」と言っていた署員は決して少なくはなかった。伝統ある料亭関係者の間では、戦後の政治家の中で一番歓迎されたのは角さんだ。芸者はもとより、玄関番に至るまでもれなく感謝の言葉と「心づけ」を渡していた。
田中には「10倍の哲学」といわれるものがあった。同じカネを使うにも、常識をはるかに超えたカネを積んでみせた。年間数千万円の大臣機密費(交際費)を、自分のためには一切手をつけず、すべてを次官以下に任せて自由に使わせた。身銭も切る。盆暮れに「私的ボーナス」を次官、局長から課長クラスまで包んだ。カネを渡すことで一切の見返りを要求しない。こんな上司欲しかった。
田中の演説、スピーチは老若男女、誰にもわかるようにできている。「一体感の構築」に集約される。スピーチの書き起こしが掲載されているが、じつにわかりやすい。田中は一切の悪口というものを嫌った。忌むがごとく嫌った。田中番の記者が万博の日本館がお粗末だと口にしたとき、血相を変えてその記者を一喝した。「自分の国の悪口を言うな。そういうやつはオレは大嫌いだッ」。
田中は44歳で大蔵大臣に就任した。大蔵省の役人は舐めてかかった。田中は猛勉強で、大蔵官僚が一週間かかって読む財政資料をたった一晩で読み切った。田中は天才だから財政、予算編成をすべて理解した。結局、田中を恐れるアメリカと、嫉妬に狂った日本の政治家、官僚によって潰されてしまうのだから、この本は総理になる前までの話。わたしは田中角栄が大好きである。
編集長 柴田忠男
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