物議を醸す菅総理の「推薦人6名任命拒否問題」。任命拒否の理由を一切説明しないことは問題視されるものの、本当のところは「政治的報復」であって子供でもわかると断じるのは、メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんです。山崎さんは、この問題に漂う悪臭は安倍政権下で起こった多くの問題のきな臭さに共通するものがあり、人事関連の黒幕は前政権時代から菅氏だった可能性を指摘。さらには、菅氏ではない誰かの可能性にも言及して、権力の腐敗を危惧しています。
権力と報復のこと
「日本学術会議」。今までその名さえあまり聞くことのなかったこの機関が俄かに耳目を集めることとなった。その原因は言うまでもなく、菅総理による会員任命の拒否である。
ここに隠されている本音は子供でも分かるようなことなので先に言っておく。要は、以前政府の法整備に反対の立場をとった学者たちへの政治的報復である。全てはこれに尽きる。
思えば、安倍政権は露骨な恩賞と報復で求心力を保ち続けたブラックメール政権であった。例えば「森友問題」においては、公の場で散々に大喇叭を吹いた籠池氏は夫婦ともども逮捕され(これは当然のことだが)、最後までしらを切り通した佐川理財局長は大出世して国税庁長官となった(後の調査報告からも分かる通り、これは不当である)。
さらに政権側の法整備に尽力したとして黒川東京高等検察庁検事長を法を変えてまで検事総長にしようとした。余人を以て代え難い筈の人間のポストに、今は何の問題もなく余人が就いているところなどは最早滑稽としか言いようがない。
こういった文脈から今回の問題を見ると、先に述べた本音のところも比較的簡単に納得できるのではないだろうか。これに官邸の主が既に替わっているという事実を合わせて考えれば、ことによるとこの辺のところは菅氏の意向だったのかもしれない、という推測も成り立つ。
ここで一応断っておくが、政治に関わる以上何らかの政治的報復の応酬は仕方がないものと個人的には考えている。政治とは畢竟権力闘争である。闘争の場に報復は不可欠だ。「俺に逆らうと高くつくぞ!」と相手に思わせるのは有効な術数の一つである。
問題はそのやり方が下手くそ過ぎて、結果として自分たちの方に高い付けが回って来ているというところである。今回も「105人の内6人くらい蹴っても」と思ったところが大騒ぎである。総合的・俯瞰的に見て明らかにメリットよりデメリットの方が大きい。政権発足早々にしての大汚点ではないか。
「この人はダメかもしれない」。我々はこう疑ってこの政権を見続けなければならない。誰が総理でもそれは同じことだが、余りにも長い女房役から主人への転身である。この一事をとっても特殊な例であるには違いなかろう。そもそも連続して官邸の中心にいるということで言うなら安倍氏よりももっと長い訳だから警戒して当然である。
そして我々が決して無視できないことがもう一つある。菅総理は、うっかりか十分確信してかは分からないが、名簿が渡された時には既に99人になっていたという旨の発言をしている。ということはこの報復人事に関与する人物が少なくともあと一人は権力の中枢にいるということである。この姿を見せない、陰に潜む誰か(あるいは誰かたち)の存在を思うと少し恐ろしい気がする。総理が決裁する前に既に誰かの手によって決裁されていたことになるからだ。
権力は必ず腐敗する。それはしばしば流れない水に喩えられる。もしかしたら、この水たまりは腐って悪臭を放つどころか、いつの間にか底も知れぬほどに濁りきった大沼となり、その深くは魔の伏すところとなったのかもしれない。さらえば何物が出るか、何者が出るか、考えただけでも恐ろしい限りである。
image by: 首相官邸