私はまずこのご相談を頂いて「幸せ」について自分で考えて説明されたんだな、すごいじゃん、と素直にそう感じました。というのは「幸せ」って人によって違うし、それを上手に説明するのもとても難しいです。そしてグーグルや辞書で調べて見ても頭をひねるような解答も多く、ちょっと納得しにくいです。
あなたにとっての「幸せ」とは何か、ご自分でも考えてみてほしいのですが、葵さんのご相談に私はこんな風にお返事しました。
葵さん、メール拝見しました。
まず6歳の娘さんへの「幸せ」の説明ですが「ほっとしたり、うれしいなと感じたり、にこにこになれること」って、とても上手にお話されたと思います。と言いますのも「幸せ」について調べてみると、ネットでも辞書でも「え?そうかなぁ?」と思うようなことが書いてあります。
例えば、辞書では「運が良いこと」とか「うまい具合にいくこと」とか、「不満がないこと」とありますが、どれも「う~ん」ですよね。それにこれを子供に話そうとは…思いませんよね。
それからすると葵さんの「ほっとしたり、うれしいなと感じたり、にこにこになれること」は、とても的を得ているし、伝わりにくい“気持ち”を上手に分かり易く、そして簡潔に説明されていると思います。ですから「私の説明が悪かったのでしょうか?」とのご心配ですが、決して説明が悪かったとは思いません。
ただ、娘さんの感じた「幸せ」と、葵さんが感じている「幸せ」って、その大きさがちょっと違うと思うのですね。葵さんが、娘さんに「私、幸せだよ~♪」と言われた時、とてもうれしかったように、私たちが受け取る時には「今の状態に安心して満足してくれている」と感じます。
きっと嫌な事もあるし、思い通りにならない事もあるけど、それも全部ひっくるめて「でも私は今、とっても毎日が充実している」(そんな気持ちなんだろうな~)と感じるんですね。ですから「幸せじゃない」なんて言われれば、それを聞けば「辛いことが毎日繰り返されているのかな?毎日苦しいんだろうか?」と心配になってしまいます。
でも娘さんは、イヤな事があるとその嫌な事に対して、その一瞬だけを切り取って「幸せじゃない」と言っている。とっても狭い意味に「幸せ」の言葉を使っているのだと感じるのです。