顔も知らない相手を結婚して末永く幸せに暮らした祖母の話でしたね。
顔も知らないなんて、なんつー乱暴な結婚なんだと思う反面食い違いと誤解の塊の結婚生活において、予め全てをすりあわすことなど不可能なので、
・大まかに間違ってなきゃいいんじゃないの?的な
お気楽&乱暴さが意外と役に立つのかもしれないというお話でしたね。
日常生活をともにするので、それこそ箸の上げ下ろしからタオルのたたみ方まで一致していることの方が少ないくらいです。
そうした中で、これを解決する方法はたったひとつ。
・一緒にやっていくという前提で
・大事なことは直接話し合って
・妥協しあって決める
です。予めピッタリの相手を探し当てることではありません。むしろピッタリじゃない相手を馴染ませ合うんです。
結婚している方は痛烈に分かると思いますが、結婚生活継続の要諦は
・まさにこれに尽きる
といえます。
他者との生活、つまり結婚生活とは
・相違と誤解の嵐
です。なんとかなるだろうという見込みで誰しも結婚するわけですが、その見込みを遥かに凌駕して、微に入り細に亘って食い違っちゃうモンですよね。だから、その全てを予め確認しすり合わせることなどできませんし、仮にやってみてもどこかでは必ず相違点があるでしょうし異常に長い時間が必要でしょう。
そんなことをやっているうちに、生物学的に厳然として存在する適齢期を徒過してしまうんです。現代より医学や産婦人科の技術が劣っていた祖父母の時代には、切実な期限が設定されていたでしょう。
しかし、祖父母の時代も今も、結婚に相違と誤解があるのは一緒です。
早晩その違いがトラブルとなって現れるわけです。ここで、食い違いに注目してしまうと
・もう解り合えない
という気分になってしまいます。そりゃそーよね。
ところが、それがそうはならなかったのが祖父母の時代や仲良くいく家庭なのです。これはつまり、注目しているものの違いなのではないかと思います。すなわち、彼らは夫婦間の相違ではなく
・一緒にやっていくという前提
に注目しているのだと思うんです。この注目点の違いはこう↓なりますよね。
・こんなに合わないんだから、一緒にやっていけない
・一緒にやっていくんだから、合わないところをなんとかしなきゃ
大違いの結論ですね。
こんなに合わないんだから~がそのまますぐに離婚に結びつくとは限りませんが、仮面夫婦的な醒めた関係への道をたどっていくことになるでしょう。
いずれに注目するのかで結果はだいぶ異なり、また注目するものがいずれなのかによってその後の会話の内容や方向性は自ずと決まってくるでしょう。
その上で
・妥協し合って決める
んです。まあ、話し合って10対0でどっちかの意見になることはそんなにないですよね。あるいはここは夫の意見が採用されたけどこっちでは妻の意見が通ったみたいな。そのヘンの折り合いはお互いに探り合って慣れて・・・馴染んでいくんでしょう。
この妥協も、一緒にやっていくという前提を持っているかどうかでだいぶ違ってくるでしょう。この前提があれば、なんとか妥協点を探ろうとするでしょうが、相違に注目してしまえばそもそも妥協自体が不要に感じられます。
数組の仲の良い夫婦に聞くと全ての夫婦が
・問題が起きたら話せばいい
と言うんですよ。それは問題という相違ではなく、夫婦として一緒にやっていくという前提に注目しているからです。逆に、仲の悪い夫婦は、これまた見事に話さないんですよね。おそらくその違いは、夫婦間の相違の数ではなく、夫婦が注目するものの違いだと思います。
・一緒にやっていくという前提で
・大事なことは直接話し合って
・妥協しあって決める
やはり、これに尽きるのではないでしょうか。
・愛し合うとは話し合うこと
至言です。
一緒にいることでもエッチすることでもないんですよ。一緒にいられなくてもレスでも、仲がいいふたりがいること、逆に一緒に暮らしながら仮面だったり、エッチしていてもイマイチ仲良くないふたりがいることは、愛の本質が生活共同やセックスではないことを示しています。
夫婦でやっていくには、とにかく話し合うこと。それを止めないこと。止めたときにはもう一緒にはいられなくなるということ。肝に銘じておきましょう。
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