中国崩壊ドミノ開始か。台湾と手を組むリトアニアの“恐ろしい実績”

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台湾の大使館に当たる「代表処」のリトアニアでの開設に、中国当局が敏感に反応しているようです。今回の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』では国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんが、この件に激怒した中国がリトアニアを「ネズミ」や「ノミ」といった言葉を用い罵ったという記事を紹介。しかし当のリトアニアは小国ながらかつてソ連崩壊のトリガーを引いた国でもあるため、彼らの行動が中共独裁体制崩壊のドミノ倒しのきっかけにもなりうるとの見方も記しています。

中国紙はリトアニアを「ノミ」と呼ぶ。しかし「ノミ」はかつて巨大なクマを殺した

11月18日、リトアニアに、事実上の「台湾大使館」が開設されました。11月18日テレ朝ニュース。

台湾外交部はバルト三国のリトアニアに事実上の「大使館」となる代表事務所を正式に開設したと発表しました。

 

台湾外交部は18日、リトアニアに事実上の大使館にあたる「台湾代表処」を開設したと発表しました。

 

外交部は「台湾とリトアニアの協力関係に新たなページが開かれた」とし、半導体やレーザー技術、さらに金融システムにおいて協力していくとコメントしています。

リトアニアは、どんな国でしょうか?ロシアの西側に位置しています。ポーランドとベラルーシの北側にある。エストニア、ラトビアと共に、「バルト三国」と呼ばれる。この国は、「旧ソ連国」です。

さて、中国は台湾を「自国の一部」と主張しているので、当然激怒しています。「いつものように」というか、口悪くののしっています。

中国紙、リトアニアは「ノミ」 台湾問題を巡り非難
共同 11/22(月) 22:10配信

 

【北京共同】22日付の中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は、台湾の名称を用いた代表処(代表部に相当)の設置を認めたリトアニアについて「ゾウの足の裏にいるネズミか、ノミにすぎない」と非難する社説を掲載した。同国との外交関係の格下げは、ほかの欧州諸国に対する見せしめの意味合いがあると指摘した。

リトアニアは、「ネズミ」か「ノミ」だそうです。

中国の人口は14億1,177万。リトアニアの人口は、272万。中国の519分の1。それで、環球時報は、リトアニアを「ネズミかノミ」と表現したのでしょう。

しかし、リトアニアを「ノミ」と侮っていると、痛い目にあうかもしれません。この国はかつて、「巨大なクマ」を打倒したことがあるのですから。

ソ連崩壊のきっかけをつくったリトアニア

どういうことでしょうか?

この国は、「旧ソ連国」だという話でした。ですが、バルト三国は、その他の旧ソ連諸国とは事情が異なっています。

ロシア革命は1917年、ソ連建国は1922年です。しかし、リトアニアがソ連の一部になったのは、1940年。強制的にソ連に編入された。

ところが1941年に、独ソ戦がはじまり、今度はナチスドイツの支配下にはいりました。1944年、ソ連がナチスドイツを追い出し、リトアニアは、再びソ連の一部になります。

リトアニアは、大国ソ連とドイツに翻弄され、自らの意志に関わらず、ソ連やドイツに支配されたのです。

当然リトアニア人は、「強制的に併合された」という意識を強くもっていた。それで、1944年から1952年まで、併合に反対する戦いを展開してきました。しかし、敗北。この過程で76万人のリトアニア人が殺されたといわれています。

リトアニアは、いつ独立を取り戻したのでしょうか?独立を宣言したのは、1990年3月です。1990年3月という年と月について考えてみる必要があるでしょう。

東西ドイツを物理的に分断していた「ベルリンの壁」が崩壊したのは、1989年11月。その後、事実上ソ連の支配下にあった東欧諸国で、「東欧民主化革命」が起こっていきます。そして、東西ドイツが統一されたのは1990年10月。

ですから、リトアニアの「独立宣言」は、「ベルリンの壁崩壊とドイツ統一の間に起こった」といえます。

リトアニアにつづいたのが、同じバルト三国のラトビアです。1990年5月に独立を宣言しました。その次はグルジア(現ジョージア)ですが、東西ドイツ統一後の1991年4月。他のソ連構成共和国は、すべて1991年中に独立宣言をしています。

リトアニアの独立宣言が、「一番早かったこと」、そして、「他の共和国にドミノ現象を引き起こしたこと」がわかるでしょう。それが、「ソ連崩壊」につながっていったのです。

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