維新の会に必要なのは、大阪都構想のような局地的な構想ではなく、日本の国家像を変えるようなより大きな構想を考え、国民全体に訴えることではないか。例えば、私は以前から、憲法改正による参院改革を維新の会に奨めてきた。
参院を、ドイツのような「連邦国家型二院制」の上院に改革し、知事や市長、県会議長など地方の代表が上院議員を兼務する形にする。上院を「地方代表の院」とすることで、地方の意向をダイレクトに国政に反映できるようにするというものだ。
大胆にいえば、地方主権を実現したいならば、中央から離れることばかり考えるのではなく、中央に乗り込んで、中央を支配するという発想を持ってもいいのではないかということだ。
ところが、維新の会の考え方はこれとは真逆で、国会の意思決定が迅速になるという短絡的な理由だけで「一院制」の導入を訴えている。
しかし、維新の会の主張である「道州制」と同じ政治・行政制度を採用している「連邦国家」はすべてが二院制で、上院は地方を代表する院を設置している国が少なくないことを知るべきだろう。
維新の会の問題の1つは、このような基本的な政治学の理論すら学んでいない「理論軽視」「学問軽視」の姿勢ではないだろうか。「現場を知らない」「現実の政策立案のプロセスを知らない」などといい、学者をバカにするような態度をとる。
そのため、まともなブレーンとなりうる人材が維新の会に寄りつかない。結果、政治学の基本的な理論さえ学ぼうとしない。そのため、現場での経験を訴えるだけで、自民党政治に代わる、新たな国家像を打ち出すための理論構築ができないのだ。
繰り返すが、維新の会は「Too Little」「Too Late」「Too Old」の自民党政治に対して、「もっと改革を大胆に進めよ」と訴える、「新しい野党」になりうる可能性がある政党だ。
しかし、現場からの改革を訴える近視眼的な姿勢だけでは不十分だ。「IT化」「デジタル化」「地方主権」などがもたらす新しい日本の姿がどのようなものになるのかを、国民に明確に提示できなければ、自民党に対抗する説得力を持つことはできない。
そのためには、視野をもっと広く持ち、自分たちだけが偉いというような傲慢な姿勢を捨てて、多くの学者の話を聞くことだ。学問的理論の蓄積と、世界の実践の事例から真剣に学び、より俯瞰的、大局的なものの見方を身に着けようという「謙虚さ」を持つことが必要だ。
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