だから維新は嫌われる。足りぬ政治学の基本、勉強し直して国民政党に脱皮せよ

2022.05.04
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参議院選挙の一部選挙区での選挙協力を進めていた日本維新の会と国民民主党が2日、合意を白紙に戻すことがわかりました。28日には「破棄なら破棄でいいですから。そういう政党だということです、国民民主党は」と声を荒げていた松井一郎代表。参院選でさらなる飛躍を目指していた維新の会には大きな痛手となるかもしれません。そんな維新の会に対し、「大阪という地方政党から、国民政党に脱皮することが必要」と説くのは、立命館大学政策科学部教授で政治学者の上久保誠人さん。上久保さんは今回、維新の会が新たな政策を始めていることは評価すべきとしつつ、国民政党へと変化するために必要なことを提示しています。

プロフィール:上久保誠人(かみくぼ・まさと)
立命館大学政策科学部教授。1968年愛媛県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、伊藤忠商事勤務を経て、英国ウォーリック大学大学院政治・国際学研究科博士課程修了。Ph.D(政治学・国際学、ウォーリック大学)。主な業績は、『逆説の地政学』(晃洋書房)。

維新の会は大阪という地方政党から国民政党に脱皮せよ

参院石川選挙区補欠選挙が4月24日に投開票されて、比例から転じた自民党の宮本周司氏(公明党推薦)が当選した。この補選は、岸田文雄首相や泉健太立憲民主党代表など、与野党の幹部が次々と応援に入り、今夏の参院選の前哨戦と位置づけられていた。

選挙戦では、宮本氏が安定した戦いを展開した一方で、野党側は候補者を一本化せず、各政党がそれぞれ公認候補を擁立したが、存在感を示せなかった。補選の結果は、野党が選挙の候補者を一本化する「野党共闘」の崩壊をあらためて示した。

野党共闘は、これまでもほとんど期待された結果を出すことができなかった。16年、19年の参院選で、野党共闘はそれぞれ11、10の選挙区で勝利した。しかし、「野党が候補者を一本化できれば自民党に勝てる」と期待されたほどの成果ではなかった。

昨年10月の衆議院議員総選挙では、野党共闘は改選前より議席を減らしてしまい、自公連立政権の継続を許してしまった。選挙前、新型コロナウイルス感染症への対応や、東京五輪・パラリンピック開催に批判が高まり、自公連立政権の支持率が落ちていた。野党共闘は、政権交代の「千載一遇」のチャンスだと言われていた。それでも勝てなかったのだ。

野党共闘に対して、国民の根強い不信感があることが本質的な問題だ。かつて、民主党政権時に、政策をめぐって内部分裂し、混乱の果てに崩壊したことを、国民がしっかり覚えていることだ。

「寄り合い所帯」では政権担当はできないという、国民の不信感が払拭されない以上、野党共闘が政権交代を実現する勢いを得ることはないということだ。

それにもかかわらず、衆院選の前、立憲民主党、共産党、社民党、れいわ新選組の野党4党は、数合わせの「共闘」に総選挙ギリギリまで必死だった。そのため、政党として最も大事なことである「政策」の立案を「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」(以下、市民連合)なる外部の組織に丸投げしてしまったのだ。国民は、それをしっかりとみていた。だから、野党は信用されなかったのだ。

野党4党は、市民連合と「野党共通政策」を合意した。その骨子は(1)憲法に基づく政治の回復、(2)科学的知見に基づく新型コロナウイルス対策の強化、(3)格差と貧困を是正する、(4)地球環境を守るエネルギー転換と地域分散型経済システムへの移行、(5)ジェンダー視点に基づいた自由で公平な社会の実現、(6)権力の私物化を許さず、公平で透明な行政を実現する、の6つであった。

内容をみれば、(1)は意味不明だ。安倍晋三・菅義偉政権で完成した英国流「交代可能な独裁」の導入というべき首相の指導力強化の改革は、現在の野党側の政治家が民主党時代に主導して実現したものだ。それを「立憲主義」に反するというのは無理がある。実際、どこが憲法違反なのか、具体的によくわからない。

(6)の「権力の私物化」も、具体的には何を指すのだろうか。例えば「森友学園問題」では、財務省が安倍元首相夫妻に「忖度」したのは明らかだろうが、元首相夫妻が権力を私物化したという証拠は出てこない。

そして、より深刻な問題は、(2)から(5)について、自民党も問題はあるが、似たような主張をしていて、違いがよくわからなかったことだ。

自民党の公約には、岸田首相の主張の中心である「分配政策で分厚い中間層を再構築」に加えて、地方創生分野で、デジタル化で都市と地方の距離を縮めて地方活性化を図る「デジタル田園都市国家構想」、そして、野田聖子少子化相が訴える「子どもを真ん中に据えた『こどもまんなか』社会」も含まれていた。

さらに重要なのは、自民党が成長と分配の両立を図る「新しい資本主義」を打ち出すことで、政策の幅を「保守から中道左派」まで大きく広げ始めたことだ。その狙いは、野党との差別化ではない。むしろ、野党との違いを曖昧にして、自民党こそ、実行力があると訴える。いわば、野党の存在を「消す」ことだったのだ。

自民党は、安全保障政策を除けば、政策的に左旋回している。特に、コロナ禍で一律10万円の特別給付金を出して以降、財政規律のタガが完全に外れてしまっている。そして、参院選を前に「予備費」の支出を連発し、さらに左に寄っている。

岸田首相は、持ち前の「聞く力」を発揮し、野党の予算要求があれば、さからうことなくあっさりと受け入れる。「野党さんもそうおっしゃっているので」といって、どんどんバラマキを行う。野党は、左傾化していく自民党の「補完勢力」となってしまっている。存在意義自体がなくなっているのだ。

あえていえば、これからは立憲民主党、共産党、社民党、れいわ新選組という自民党の左側に位置する野党は不要だ。むしろ、自民党の右側に位置する野党が必要ではないかと主張したい。

自民党は、「包括政党」(キャッチ・オール・パーティ)だ。それは、「カップラーメンから人工衛星まで扱う」といわれる「総合商社」のような存在だ。社会に存在する政策課題については、安全保障から、社会民主主義的なものまで、ほとんどすべて網羅している。その政策の幅広さは、岸田政権になってより顕著になっているのだ。

つまり、自民党政治の問題は、個別の政策の「有無」ではない。ほとんどすべての政策に取り組んでいるのだ。ただ、問題はそれが「Too Little(少なすぎる)」「Too Late(遅すぎる)」そして「 Too Old(古すぎる)」ことである。

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