だから維新は嫌われる。足りぬ政治学の基本、勉強し直して国民政党に脱皮せよ

2022.05.04
 

次に、完全に頓挫した「大阪都構想」に代わる、自民党とは異なる「国家観」に基づく政策を提示すべきだ。大阪都構想は、二度の住民投票で敗れて挫折した。大阪市民、そして日本国民にその構想が支持されなかったのには、様々な理由があった。

まず「大阪都」というネーミングそのものに問題があった。「大阪都」とは、「大阪府」と「大阪市」「堺市」を一度解体して、その後組み直して作る巨大な「特別区」のことだ。ただし、「都」というのは、単純に「府」の上位の行政区分が「都」だからで、それ以上の国家観に基づく大きな構想がなかったことが問題だった。

そもそも論になるが、「大阪人」は大阪が「都」になることを望んでいなかったのではないか。大阪といえば、「阪神タイガース」だ。大阪人は「タイガースは優勝できなくても、巨人にだけは負けるな」と熱狂する。それは、東京に対する「反骨」であり「反権力」の気概である。

歴史を振り返れば、大阪が都だったのは、奈良時代の難波京までだ。大阪は「東洋のベニス」と謳われたように「商いの街」として発展してきた。「阪僑」と呼ばれる大阪人は、政治よりも商いの中心であることに強い誇りがあるのではないだろうか。

全国的にも、「大阪都構想」には違和感があった。例えば、大阪の近隣には、1000年以上首都の座にあった「京都」が存在する。京都には「天皇陛下は東京に旅行に行っているだけ」と言い、現在でも京都が日本の首都だと言い張る人がかなりいる。

だが、京都は「府」である。大阪「都」ができてしまうと、「行政区分上」はともかく、日本の歴史、文化、伝統的には非常に違和感がある、京「都」と大阪の「奇妙な逆転現象」が起こってしまう。そのためか、京都では維新の会の支持率が極端に低く、「大阪都構想」は話題にすることすら憚られていた。

京都以外でも、「何で大阪が勝手に都になろうというんだ」と違和感を持つ人が多く、都構想に理解はなかったと言っていいだろう。それは、端的にいえば、大阪がどのような都市になり、日本がどのような国になるかの「哲学」がまったくみえない。

大阪府・市という狭い範囲の行政をどうするかのテクニカルな話に終始しているだけで、「夢」がないのだ。だから、大阪都構想は、大阪から一歩外に出れば、まったく理解を得られなかったのだ。

もちろん、大阪都構想には、具体的に実現したい目的があった。それは「大阪府・市の二重行政の弊害」「既得権者の問題」を解消することだった。これ自体は重要なことだ。

例えば、大阪府と市が別々に行っている「水道事業」だ。また、「大阪府中央卸売市場vs大阪市中央卸売市」「大阪府中小企業信用保証協会vs大阪市信用保証協会」「大阪府道路公社vs大阪市道路公社」「府立病院vs市立病院」「府立大学vs市立大学」「府立体育館vs市中央体育館」「府立門真スポーツセンターvs大阪プール」「府消費生活センターvs市消費者センター」「府立公衆衛生研究所vs市立環境科学研究所」「府立現代美術センターvs市立近代美術館」など、2015年5月の住民投票時、大阪府と大阪市の二重行政は134事業あった。

これらの非効率性の問題は、府立大と市立大など一部の統合を除き、多くは積み残されたままだ。

また、最初の住民投票時、当時の橋下徹大阪市長が演説で「僕は税金の使い方をとことんやってきた。誰かのポケットに入っていないか。7年半やってきた。職員の給与、組合からアホ、ボケ、カスと言われ、医師会、薬剤師会、トラック協会、ナントカ協会、町内会、商店街のナントカ連盟……」と、公然と批判した「既得権者の問題」がある。

大阪府・大阪市の「二重行政の弊害」の解消と「既得権の問題」は、「都構想」が否決されても、「なかったこと」にはできない非常に重要な問題だ。

だが、残念なのは、大阪人にも、大阪の外にいる人達にも、この「都構想」を巡る論争が、どうしても大阪府・大阪市の「権限・予算の奪い合い」という、「些末な縄張り争い」にしか見えないことだった。それにわざわざ「都構想」という仰々しい名称を付けているだけの印象だったのだ。

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