もう二度と届かない贈り物。ゴルバチョフの死で人類が失ったもの

 

《参考》高野著『世紀末 地球市民革命』抜粋

高野著『世紀末 地球市民革命』(学研、92年刊、絶版だがアマゾン中古で33円~2,346円で入手可能)は、1989年から92年にかけて冷戦の終わりと旧ソ連・東欧体制の終焉、それを象徴するベルリンの壁の崩落をはじめとして全世界的な構造変動の現場を取材で駆け回っていた時の記録で、その本全体の主人公がゴルバチョフだった。

本のタイトルは、冷戦の終わりと共に地球規模の「市民革命」が始まったという意味と、その革命の主体は「地球市民」と呼ぶべき新しい世界観、意識を持った人々ではないかという仮説とを重ね込んでいた。しかもその地球市民意識の中核は、西側では日本の全共闘世代、フランスのカルチェラタン世代、米国のいちご白書世代など1968年に頂点に達した若者反乱を担った人々であったけれども、面白いことに東側にも「68年世代」が存在して、それは同年のチェコスロバキアの「プラハの春」、すなわち共産党第一書記ドゥプチェクによる「人間の顔をした社会主義」への決起とそれに対する旧ソ連・WPC軍の戦車による蹂躙を目の当たりにした人々で、その頃はまだ故郷スタブロポリの地方党書記だったゴルバチョフも実はその1人だった。それが、約20年の潜伏期間を経てゴルバチョフ自身による「グラスノスチ」「ペレストロイカ」の発動とその驚くべき速度での伝播による東側世界の大転覆を生み出したのである。

ゴルバチョフがチェコ流の「人間の顔をした社会主義」への共感者だったことについては本書の第3章「ソ連にもいた『68年世代』」に詳しい。ここでは第2章「ソ連でもついに始まった『市民革命』」から、ゴルバチョフ政治のパラドックスに関する部分を要約紹介する。私の説では、結局のところロシア人はゴルバチョフの言っていることの本質を理解せず、安易にエリツィンのポピュリズムに乗り換えてしまい、結果的にプーチンの長期強権政治に道を開いたのである。


91年8月19日に共産党保守反動派によるクーデターが起き、ゴルバチョフが一時クリミアの別荘に監禁されたものの、ロシア共和国大統領だったエリツィンが躍り出て市民と共にこれを収拾、未遂に終わらせた。

エリツィンとゴルバチョフの“勝ち負け”

この驚天動地の事態がひとまず収まったあと、マスコミはいっせいに「エリツィンの勝利」、ということは「ゴルバチョフの敗北」と総括した。しかし私は最初からそれに疑問を差しはさんだ。もちろん、エリツィンの果敢かつ機敏な行動がなければ、保守派のクーデターの試みをわずか3日間で打ち砕くことはできなかったに違いない。しかし仮に彼がその勝利を自分一人のものと錯覚するようなことがあれば、むしろそれが保守派の再巻き返しの理由になるかもしれない。この勝利はまた同時に「ゴルバチョフの勝利」でもあったことを正当に評価しないと、エリツィン自身も世界のマスコミも今後の展望を誤ることになる。

クーデターを阻止した決定的な要因が戦車の前に立ちはだかった市民のパワーだったことは言うまでもないが、この市民の決起こそゴルバチョフが望んで止まなかったものであった。彼は「上から」の改革者であり、それゆえの限界や弱点を持っていたことは確かで、今回の事態は劇的な形でのその露呈でもあった。とはいえ、ペレストロイカの事業が「上から」進められるだけでは完結せず、「下から」の市民パワーによって支えられ、突き上げられて、むしろ「上から」の改革の限界が乗り越えられていくのでなければならないことを、誰よりもよく知っていて、それがなかなかそうならないことに苛立っていたのもゴルバチョフだった。市民の決起によって辛うじて救われたことを、ゴルバチョフが「この6年間は無駄ではなかった」と述べたのは、しみじみとした実感であったろう。

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