【アンチテーゼ】
毎日工夫して「キャラ弁」の写真をアップしている皆さんや、贅を凝らした「ゴージャス弁当」を作っている方々には大変申し訳ない話ではあるのですが、いわゆる「インスタ映え」のするお弁当には、いつの間にか一種の「型」や「パターン」が形成され、誰が意図したわけでもなく、それらが新たな「規範」になりつつあったのかもしれません。
これらはこれである種の偉業?!でもあるわけですが、ネットを見る側の中には、これが「お手本」と思い込んだり、場合によっては「こうでなければいけない」と勝手に思い詰める人もいるのではないでしょうか。
「規範」というのは、そうした形で人々を縛るものなのです。
人によっては、自分の普段のお弁当とインスタの「お手本」を比較して、劣等感に苛まれる人も出てくるのです。
ホランさんの「鬼ヤバ弁当」は、こうした「思い込み」から、人々を解放してくれました。
だから、多くの人から喜ばれたのです。
とは言っても、「鬼ヤバ弁当」は、既存の「キャラ弁」などが築き上げたものをぶち壊したわけではありません。
いつの間にか出来上がってしまった「お手本」や「規範」に対する「アンチテーゼ(antithesis:対立命題)」を呈示して見せたのです。
それは、既存の「美意識」を否定するものではなく、それとは「別の可能性」があるということを明らかにしたわけです。
結果、「鬼ヤバ弁当」を見て、「気が楽になった」人が続出し、ホランさんのお弁当写真を楽しみにするファンの人たちまで現れました。
皆、「自由」になったのです。
だからといって、「キャラ弁」を毎日アップする人たちのアイデアや努力が価値を失うわけではありません。
それらはそれらで、ひとつの「スタイル」として、これからもファンを増やし、支持を受け続けるでしょう。
この弁証法的な力学は、「キャラ弁」でも「鬼ヤバ弁当」でもない、第三の新たなスタイルを生み出すはずです。
それがどんなものになるか、楽しみに待ちたいと思います。
(メルマガ『富田隆のお気楽心理学』より一部抜粋)
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