歴史を振り返ってみよう。1956年、毛沢東は「百花斉放」の方針を打ち出した。思う存分言いたいことを言おうということ。しかし、毛沢東は一部の知識人から批判を受け、ショックを受けた。その結果、大々的な取り締まりが行われることになった。
1976年4月、党の強硬派に対する民衆の抗議が改革派の一人であるトウ小平の解任につながり、1978年と1979年には「民主の壁」による自由の拡大を求める声が魏京生などの民主活動家を投獄し、1986年には自由化を求める学生の抗議が自由化派の共産党指導者胡耀邦の失脚を招いた。
1989年の天安門事件は、より大きな自由を求める広い呼びかけであったが、結果として鎮圧、長期間の投獄、強硬派の台頭により、この国はさらに自由でなくなってしまったのだ。
したがって、今回、中国政府が抗議行動に屈せざるを得なかったことは、歴史的な一里塚のように感じられるが、この政策転換には代償があるかもしれない。おそらく、より強力なレトリック弾圧の方針が採用されるだろう。中国人の民主化と自由への道のりは平坦ではない。
中国の指導者は、イデオロギーの領域で自らを修正することが極めて困難である。その結果、中国の権威主義的な支配者の監視のもと、高学歴の都市部中産階級と若い知識人が台頭し、より深く国の政治に関わりたいと願いながらも、勿論、今のところ、政府によってそれが許されなくなった。
改革開放の時代、中国は多くの国民の所得を上げることで、多くの国民を「買収」したといえる。人々の関心を「お金」に集中させることに成功した。政府が人々の生活レベルを向上させることは認めるが、人々が完全に自由な声を出すことは認めないという暗黙の了解があったのだ。
厳しいコロナ対策の中、若者を中心とした勇気ある抗議者たちが確かに中国の国策を変えた。ウイルスを根絶できないのと同様に、権利に対する彼らの広範な欲求も消滅させることはできない。
いつか、中国の指導者は、こうした民衆の自由願望に応えなければならない。習近平氏はこれからも政権を維持しているが、今年の抗議活動で中国人が得たものは、そのような願望がいつでも人たちの心で輝いていることに違いない。民主主義の曙光が確かに見えてきた。
今まで心の中に隠して、あえて言わなかったことが、突然言えるようになったという事実に、多くの人が目を覚ます。最高権力者に対する不満が表明できるようになった。そして、覚醒した人々の数は、これからも増え続けるだろう。
お金よりも大切なもの、例えば信仰や自由などのために戦う価値があることをようやく知ることができた。これは、今年の中国の人々にとって大きな前進である。封鎖から社開放へ、またさまざまな新しい問題を生み出すとみられる。願わくば、中国人もまた、民主主義の精神と手段によって、それらを解決することができるようになればいい。
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