岸田の苦戦は必至。二階を引っ張り出すも困難な日中関係「正常化」

th20230410
 

2022年に国交正常化50周年を迎えたものの、米中対立の影響もあり冷え込みを見せている日中関係。4月1日には林芳正外相が訪中を果たしましたが、この先両国の関係は改善に向かうのでしょうか。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』ではジャーナリストの高野さんが、日中両国民のお互いに対する感情が悪化した原因を解説。さらに日本人の対中国ヘイト感情をここまで高めてしまった要因を考察しています。

※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2023年4月10日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

解けぬ「台湾有事は日本有事」の呪い。安倍元首相の悪しき遺産に縛られる岸田政権

林芳正外相が4月1~2日、日本の外相として3年3カ月ぶりに北京を訪問し、李強首相と40分間、秦剛=中国外相とワーキングランチを含め3時間45分、党の外交責任者である王毅=政治局員/前外相/元駐日大使とも夕食会で1時間40分と、合計6時間を超える会談を持った。日本のメディアは、双方の意見の隔たりはなお大きく、合意できたことは少なかったなどと評しているが、そんなことはどうでもいいことで、林が行ってこのような異例とも言える扱いを受けたこと自体が重要な成果である。

二階の日中議連会長就任で議員外交は動き出すが…

この直前の3月31日には、日中の防衛当局間に緊急時に情報・意見交換をして無用な衝突を回避するための「専用ホットライン」が開設されたことが発表された。これは、2018年5月に安倍晋三・李克強両首相の間で合意された「日中海空連絡メカニズム」の3項目の1つで、防衛当局者・専門家の定期会合、双方の現場の航空機・艦船同士の直接連絡の方法についてはすでに実現していたが、双方の司令部レベルのホットライン開設は棚上げのままだった。これが遅れていた原因の1つは、安倍とその周辺の右翼勢力の反中国姿勢にあったが、ようやくその重圧が遠のいたことの現れである。

さらにその数日前には、自民党大物の中で数少ない親中派である二階俊博=元幹事長が「日中友好議連」の会長に内定し、正式就任の後、6月にも訪中する予定であることが明らかになった。前会長の林が岸田内閣の外相に就任後、「誤解を避けるため」と言って会長から引いた後、空席になっていたのだが、大物の就任で再び政府レベルとはまた違った議員外交が動き出すことになる。

二階は元々、自分の築いてきた対中人脈をそっくり林に引き渡すつもりでいたという。それが、日中関係そのものの冷却化、安倍的右翼の影響力残存、コロナ禍の影響などで遅れていたところ、岸田文雄首相の方から小渕優子=党組織運動本部長を通じて会長就任の要請があり、二階の受託後、4月3日に岸田が二階と党本部で会談し、林訪中後の日中関係の進め方について協議している。

従って、これら一連の動きは相互に密接に関連したものであり、岸田政権が日中関係改善に向け動き出したことを示すものと言える。そのことと、安倍の悪しき遺産の1つである「台湾有事は日本有事」という状況認識と国際法理解の誤謬との整合性の欠如とはまた別問題で、岸田はその狭間で今後ともジタバタすることになろう。

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