漁港で試食は必要だったのか?岸田首相襲撃事件が根本から問いかけること

 

現政権に「お灸を据える」ことしかできない有権者

これも、何となく当たり前のようにも思えますが、よく考えるとこの構図にまず問題があります。そこには政策論議が徹底的に欠落しているということが、まずあります。この場合の総理(とその派閥)の真の敵は総理候補を擁する他の派閥です。ですが、選挙を争っているのは与野党であって、他派閥ではありません。その上で、選挙に負ければ総理総裁は不人気が明らかとなり、次の選挙の「旗印」として不適格という烙印を押されるので、党内のライバルに総理の座を奪われるというメカニズムが、現在「政局」と呼ばれているメカニズムです。

では、野党に政権が行く、つまりダイレクトな政権交代が民意によって可能かというと、現在はその可能性は著しく少なくなっています。まず、左派系の野党と、保守系の野党に分裂している現在では、細川政権や鳩山政権のような受け皿は考えにくいわけです。今回の和歌山1区で勝利した維新は、あくまで都市の納税者の現状不満の受け皿であって、衰退する地方に対しては関心のない地域政党ということもあります。更に、民主党政権が瓦解した経験から、野党の統治能力には全く信用がない中では、政権交代が起こりにくい状況があるのは間違いありません。

そんな中で、自民党としては総選挙や参院選だけでなく、地方選であろうと、補選であろうと、負ければ総理総裁の求心力に傷が付き、決定的な敗北を喫すれば、党内抗争に敗北して政権が崩壊するという構図となっています。この構図そのものに、大きな問題があると思うのです。

まず、政策に選択肢がありません。政策に関して与野党では異なった選択肢があり、有権者はこれを選択することで、民意が主権者の主権行使となるわけですが、そのような選択肢が選挙の前面に出てこないのです。例えば今回の和歌山県1区の場合、当選した維新は保守系野党であり自民党との間に大きな政策上の争点はなかったのです。

確かに現政権の統治能力への信任投票という面はあります。けれども、政策の担当能力がなく、政策としても現実味のない野党に投票することで、現政権を崩壊させても、結局は自民党の他派閥の人材が新しい総理総裁になるわけです。つまり、民意が政策として反映する仕組みにはなっていないのです。これでは、まるで国政選挙が、最高裁判事の国民審査になっているようなものです。有権者は現政権に「お灸を据える」ことはできます。ですが、新政権を選ぶことはできないのです。

それにしても、この和歌山1区の選挙戦は奇妙なものでした。元来は、立憲民主党の岸本周平氏が盤石の強みを持っていた選挙区です。そうなのですが、岸本氏は知事選への転身を図り議席を捨てました。その後継として立憲は人材難から有力な候補を立てることができず、現状に不満を抱く都市型の票は、大阪、兵庫、奈良と同様に維新に流れてしまいました。そんな中で、自民の立てた候補も強くはなく、維新の優勢は明らかでした。

にもかかわらず、岸田総理は自ら乗り込んで危険と遭遇したばかりか、容疑者逮捕に功績のあった漁協員を讃えるとして、再度の現地入りもしているわけです。そればかりか、都市型票を呼び込むために、党籍のないはずの小池百合子東京都知事を応援に引っ張ったりもしています。

結果はそれでも、自民の敗北に終わりました。ですが、岸田氏の印象は危険に遭遇し、その危険を省みずに選挙戦を続けたことで好感度が増したとされています。新聞は「維新が勝って自民敗北」とか「和歌山1区で与党は手痛い敗北」などと書き立てていますが、岸田氏の本音としては「まあまあの戦績」ということだと思います。

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