「禁句」だらけで何も言えない現代に疑問。“自由な主張”の意味を履き違えている人たち

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昭和や平成の時代に比べて、自身の主義主張をより自由に世に問えるようになりつつある令和時代の今。しかしそこには、かえって「不自由」になっているという矛盾をはらんでいる可能性もあるようです。今回のメルマガ『FROM LA TO JAPAN』ではLA在住のAJさんが、世界中に拡がる「自由な主張」というもののあり方について考察。自由な主張の発信時に必要なものとは何かについて持論を展開しています。

世界中に蔓延する「自由な主張」の履き違え

先週、マイケルジャクソンの長女(パリス・ジャクソン)が「自分の裸を見せる自由を…」と、ジャンポール・ゴルチエによる“裸ドレス”を着用し話題になった。女性の裸のパーツが描かれているこの服は性差別に対してわかりやすい意思表明だという。

毎度お騒がせなこの方、わき毛を生やしたり、全身タトゥーの姿を見せたりと、ファッション界のインフルエンサーなのだが、こういういかにも「今の時代はこれよ!」とばかりに「自由」をはき違えている申し子たちが多すぎる。

パリス・ジャクソンの「思想」は、ただの自己主張。この前のコラムにも書いたが「見ている方」はとても不快である。食事中に、こういう彼女の自己主張を見せられた日には、たまったもんではない。

何でも「主張」すれば良いというものではない。

礼儀と節度、TPO…大人であれば相手を配慮するという「わきまえ」がなければならない。

自由の主張は結構だが、そこに「責任」という文字が見当たらないのはどうしてか?個人の主義主張を押し通すなら、それを受ける人、見る人、子供や社会的影響という「責任」を持つべきであると私は思う。

個人の思考や美学を否定してはいけない…という今の傾向に、誰もが口を閉じる必要はないのだ。「否定してはいけないムード」が、実は自由を奪っていることにはならないか?

社会に対して主張は大いに結構。だが、それを誰もが「認めなければならない」という法律などはない。

人間は社会の中で生きている。

2020年、Black LIVES Matter(BLM)という運動があった。アフリカ系アメリカ人に対する警察の残虐行為をきっかけにアメリカで始まった人種差別抗議運動で、暴動が起きた。

実は私はもっと前1991年のロサンジェルス暴動を体験している。これも「ロドニー・キング」という黒人男性が、白人警官によって殴打するなどの激しい暴行を加えられたことによって勃発した暴動。

この時の私は、まだロスに来たばかりの頃だった。日本でもこの様子は報道されたと思うが、まるで戦争。

黒人 vs 白人の暴動ではなく実はアジア人(韓国系)への被害も多かった。要するに「便乗」。暴動を起こす人、それを制圧しようとする人、この対立に便乗して、あちらこちらで強盗事件が起きた。ついでにアジア人の店も襲っちまえ~!って奴。

街の中には戦車が出向き、火炎瓶による放火に数十台の消防車が出動。住民は家から出ることを禁じられ、買い物に出ようものなら、軍服の兵隊に制圧される。

当時私は暴動の中心地に住んでいたもんだから、銃の鳴り響く音を映画以外で初めて耳にした怖い思い出となった。

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