国民が創設を強く望んだという歴史的事実。あなたは国民年金制度の歩みを知っていますか?

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メディアが恒例行事のように批判的な記事を掲載するなど、何かと叩かれがちな国民年金制度。しかしその創設は、かつての多くの国民の強い願いだったという事実をご存知でしょうか。そんな国民年金の歴史を振り返っているのは、人気メルマガ『事例と仕組みから学ぶ公的年金講座』の著者で年金アドバイザーのhirokiさん。そのhirokiさんは今回、過去に配信した記事を2023年4月以降の法律に併せて内容を改訂した増補版を配信するメルマガ『事例と仕組みから学ぶ公的年金講座【過去記事改訂版】』を新創刊。その中で、なぜ全国民強制加入の年金制度が作られたのかについて詳しく解説しています。新創刊メルマガは6月末まで初月無料で読めますので、この機会にぜひご登録ください。

どうして国民年金を作って国民を強制的に加入させたのか

1.昭和30年代の日本と国民年金創設まで

僕はよく昭和36年4月1日という年を出しますが、この日は年金にはものすごく大事な日で、国民年金と国民健康保険(国民健康保険は最初は昭和13年に農業や漁業に適用)が国民に同時に達成された日なんです。

ちょっと話が遡りますが、昭和30年の人口は約9,000万人でした。

この9,000万人の内、0~14歳の人口は約3,000万人、65歳以上人口は480万人程度で、出生率は安定の2.4くらいでした(団塊の世代と呼ばれる昭和22~24年生まれの人の時は出生率は4.5ほど)。

で、全人口に対し全就業者が4,200万人くらいでそのうち年金(厚生年金や共済、恩給)に加入出来ていたのは1,200万人程度だったんです。特に自営業や零細企業は年金がありませんでした。

つまり、年金でカバーされてたのは全就業者の3分の1程度だったんですね。また、農林水産業のような第一次産業が全就業者の40%を占めていたような頃でした。今は第一次産業は4%以下になっちゃってます。

だから、雇用者1,200万人の人以外は何の年金もなかったわけです。

昭和17年6月から始まった厚生年金(最初の名称は労働者年金保険でしたが昭和19年10月に厚生年金保険法になりました)も戦争でほぼ壊滅しましたが、昭和26年あたりから生活水準が戦前の水準に戻り、昭和29年に厚生年金大改正で形を変えて再建されて厚生年金が復活しました。

なお、戦争が終わってからの物価上昇はすさまじく、例えば昭和10年あたりの物価を1とすると、昭和25年あたりは200倍で昭和29年の物価は300倍となっていました。

終戦の昭和20年から昭和24年までは70倍の物価上昇。

令和5年現在はロシアのウクライナ侵略のせいで、それ以来は物価が高くなって生活に支障が出ていますが、当時は桁違いだったわけです。

戦争で日本は焦土となり、日本にはモノがないわけですよ。

そんな時に軍人や軍属300万人に退職金を支払いました。さらに日本に戻ってきた引き揚げ者300万人の人が増えたわけです。

軍人さんだった人に退職金を支払い、さらに人が増えたらどうなるでしょうか。

人はモノを求めますし、お金があるならモノを買いたいですよね。つまり莫大な需要が増えたわけです。

しかしながら、日本にはほとんどの需要を満たすもの(供給)が無いとなれば猛烈な物価上昇に見舞われます。

需要があるのに、供給するモノが少ないと簡単に物価は上昇するんですね。

なお、厚生年金の始まりは積立金での始まりましたが、猛烈な物価上昇のお陰でその積立金の価値もみるみる無くなっていき、厚生年金は崩壊の危機に陥りました。

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