国民が創設を強く望んだという歴史的事実。あなたは国民年金制度の歩みを知っていますか?

 

2.選挙での強い関心事となった国民年金

さて、昭和26年あたりにようやく生活水準が戦前くらいに戻ってきたわけですが、その後には厚生年金が昭和29年に再建されました。

さらに、原爆被害者等の戦争被害者、身体障害者、母子家庭などの一般の生活困窮者に対する支援を差し置いて、軍人だった人の恩給の増額の動きや、それまで厚年に加入していた農業協同組合が新たな共済組合を作る動き、そして700万人の中小企業の被用者を厚生年金から脱退させて新たな年金を作る動きが出てきました。

また、朝鮮戦争以降の朝鮮特需に続き、昭和30年以降は日本の高度経済成長に入り、農業から工業化へと移り変わろうとしていました。そうすると農業を出て、都会にどんどん田舎の労働力が移動するようになり、核家族化が促進されていく事になりました。

昭和30年になって今度は国民すべてに年金頼む!って声が強くなってきて、昭和33年に国民年金を作る事が公約されて総選挙があり、投票率も79.99%という戦後最大のものとなりました。

国民年金の創設はそのくらい強い関心事で、自民党が大勝して急いで国民年金が作られたわけです(創設は昭和34年4月)。今現代は年金はよく叩かれますが、当時は多くの人々が国民年金を強く望んだわけです。

まあ、最初は当時の社会党が国民年金創設を掲げましたが、自民党も国民年金を作り昭和34年からの実施を目指す事を公約としました。

この時の選挙による社会党は昭和22年片山哲内閣の143議席よりも多い、177議席という歴代最高投票数でした。

その後は社会党(その後の社民党)は結局は、なんでも反対したり自衛隊が憲法違反とか日米安保を反対したりと、いろいろおかしな事言うし、実現不可能な事に終始するから信用を失くして落ちぶれていきました。

ちなみに社会党って日米安保反対と言い続けてきたのに、村山富市さんが内閣総理大臣になったら「日米安保は堅持する」と寝返って、社会党議員からの反発を招いてそこからバラバラになっていきました。

で、話を戻しますが本当は国民健康保険を先に優先のつもりが、たまたま昭和36年4月に国民年金創設と国民健康保険が当時適用されてなかった人に同時に適用される事になったんです。

だって、国民すべてに年金って言ったってそんな事してる外国は無いし参考となるものが無かったので、よくわからないからとりあえず先に国民健康保険から適用を拡大しようとしました(適用されてなかった3,000万人の人に)。

でも国民年金を公言してしまった以上は出来ないのなんのって言ってられないから、選挙からたった1年で作ってしまいました。

この昭和36年4月1日に国民が皆、強制的に年金に加入する事になったから国民皆年金とよく呼びます。20歳から60歳前月までの厚生年金や共済年金から外れてる人を強制加入としました。

そして、国民年金保険料納付した期間と免除期間が25年以上の人に65歳から支給する事になりました(ちなみに厚年は60歳[女子は昭和60年改正までは55歳支給]支給で、20年加入で貰えるのに国民年金は長すぎないか?と思われましたが、国民年金に加入する人の大半であった農家や自営業の人には退職という概念は無いので、ちょうどよいであろうと考えられていました)。

ただし、サラリーマンや公務員の専業主婦は国民年金入らなくても夫が加入してる厚生年金や共済年金で守られてるし、また、学生は支払い能力が無いだろうからこの人達は強制的に国民年金に加入させず、加入したければ加入させるという任意加入にしました。

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