東京のシンボル「東京タワー」。東京スカイツリーができるまでは東京で一番高い建造物であり、今でも観光地としても人気の場所です。メルマガ『富田隆のお気楽心理学』の著者で心理学者の富田隆さんは、今回のメルマガで東京タワー建設時の「奇跡」について紹介しています。
東京タワーの真実
昭和33(1958)年12月23日に竣工した「東京タワー」(333メートル)は、ほとんどが人の手で造られました。
当時、現代のような特殊な機械はありません。
あれらの鉄骨はすべて手作業で組み立てられたのです。
高層部を担当していた「鳶(とび)職人」は命綱もつけず、100メートルを超える上空で危険な仕事をしていました。
私は長らく、「あれだけの工事には多くの犠牲者が出ただろう」と思い込んでいました。
私だけではありません、多くの人たちがそう思っていたのです。
その昔、東京タワーの電飾には有名な「都市伝説」がつきまとっていました。
当時は、鉄骨に家庭用の電球をずらりと並べて夜空を照らしていたのです。
家庭用の電球ですから、必ず何個かは切れてしまいます。
夜空を見上げると、ポツポツと光の点が欠けているのです。
定期的に欠けた電球を補充しても、別の電球の寿命が来るので、東京タワーの電飾はいつもところどころ欠けていました。
その、欠けている電球の数が実はいつも同じで、それは、工事で亡くなった鳶職人の数なのだ、という噂が広まったのです。
そんな噂が拡がるくらいですから、東京っ子たちは、タワー建設には少なからぬ数の犠牲者が出たと思い込んでいたのです。
しかし、実際に調べてみると、亡くなったのは突風にあおられて60メートル上空から転落死した方の「一人」だけでした。
あまりにも突然の不可抗力だったようです。
もちろん、たとえ1名であっても、人の命の尊さに変わりはありません。痛ましい限りです。
しかし、あれだけの難工事で、犠牲者が一人というのは、驚くべきことです。
ネットを検索してみれば、東京タワー建設当時の写真を見ることができます。
その中には、地上200メートルや300メートルで作業をしていたり、昼食を摂っている鳶職人たちの写真があります。
くつろいで、笑顔を浮かべている写真もあります。
これらを見れば、奇跡のような、空中作業の離れ技は、彼ら一人一人の「セルフコントロール」から生み出されたということが納得できるはずです。
「人間ってすごい」
つくづく、そう思います。
(メルマガ『富田隆のお気楽心理学』より一部抜粋)
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