紛争現場で重要な「何を管理する権限を争っているのか」の見極め
4.市場が警戒しているもの、そして「ペトロダラー」への影
金融市場が最も警戒しているのは、一時的な原油価格の高騰ではありません。WTI先物は一時1バレル80ドルを超え、北海ブレント先物も7月14日に一時85ドル台まで上昇しました。これは6月17日の覚書署名以来の高水準です。
米国内のガソリン価格も1ガロン3.87ドルまで上昇し、ベルギーの海運部門のデータ分析企業であるKpler社の分析によれば、ホルムズ海峡の通過量は前週から半減したといいます。
しかし企業経営の視点からより重要なのは、「輸送コストの恒常的な上昇」です。船舶保険料、航路変更コスト、護衛費用、在庫積み増しといった構造的コストは、軍事的緊張が緩和された後も長期間残り続ける可能性が高いといえます。
さらに長期的な視点で見逃せないのが、1970年代半ば以降形成されてきた「ペトロダラー体制」への影響です。
米国が中東産油国に安全保障を提供する見返りに、産油国が石油収入をドル建て資産に還流させるというこの枠組みは、世界の原油取引の大半をドル建てにする土台となってきました。
しかし、SWIFTから排除されたイランやロシアが人民元建て取引を強いられる中で、中国人民元の存在感が徐々に高まっています。ペトロダラー体制の中心地であるサウジアラビアにおいてすら、人民元決済拡大の動きが探られているとの報道があり、これは世界の経済的覇権国でもある米国にとって看過できない懸念材料となっています。
日本を含む各国にとっても、このシステミックリスクは他人事ではありません。サプライチェーンの根本的な見直しとリスクヘッジ戦略の立案・実施は、もはや先送りできない経営課題といえますが、どれほどの対策が出来ているかは不透明です。
ちなみに、今回の一連の動きを「中東危機」とだけ捉えると、本質を見誤ります。現在進行しているのは、「海峡を支配する者が物流を支配し、物流を支配する者が経済秩序を左右する時代」への移行です。
20世紀の覇権国家は、圧倒的な軍事力を背景に国際秩序を維持しました。一方、21世紀後半に向かう世界では、海峡、港湾、エネルギー供給網、デジタル通信ケーブル、決済システムといった「インフラの管理能力」が国家の影響力を左右する要素となりつつあります。
ホルムズ海峡を巡る対立、そして米国自身が「通航料」という言葉を口にしてしまったという事実は、その象徴的な事例といえるでしょう。
紛争の現場では、「何を巡って争っているか」と同じくらい、「何を管理する権限を巡って争っているのか」を見極めることが非常に重要です。
今回、トランプ大統領が20%構想を掲げ、そしてすぐさま撤回した一連の動きは、正直なところ、交渉戦術としては拙劣だったといわざるを得ません。それは、自らの主張の法的正当性を、自らの発言で毀損してしまったからです。相手が使うレトリックを先取りされる、あるいは自らの言葉が相手に利用されるという事態は、交渉における最も基本的な失敗の一つです。
現在の米・イラン対立は、軍事的勝敗だけで決着する性質のものではありません。双方とも、海峡の安全保障と国際的な正統性を自らの戦略的資産として位置付けており、その認識が変わらない限り、軍事的な小康状態が訪れても、根本的な緊張は残り続けるでしょう。
だからこそ、この問題の解決には武力の均衡だけでなく、「海上交通路を誰が、どのようなルールの下で管理するのか」という制度設計を含めた交渉が不可欠となります。
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