外国人とは分かり合えない、捕鯨を文化として繋いできた日本の歴史

jog20170511
 

2009年に公開された『The Cove(ザ・コーヴ)』というドキュメンタリー映画、ご記憶の方も多いのではないでしょうか。和歌山県で行われているイルカ追い込み漁を厳しく批判する内容の映画で、この作品の評価を巡って国内でも大きな論争が巻き起こりました。今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、イルカ漁と同じく海外から「野蛮だ」との批判を浴びているクジラ漁、つまり「捕鯨」について、外国人のみならず当の日本人もあまり知らない歴史を紐解きつつ、その「批判の是非」について考察しています。

日本人はクジラの供養塚を建ててきた

捕鯨は江戸時代には日本各地で盛んに行われていたが、捕鯨の港の近くのお寺には、必ずと言って良いほどクジラの供養塚や墓がある。さらに、捕れたクジラ一頭ずつに戒名をつけ、供養している所まである。

昔からクジラを利用してきた国々は多いが、このようにクジラの霊を供養してきたのは日本だけである。

また、我が国ではとれたクジラは肉だけでなく、骨はかんざしや櫛に、ヒゲは楽器に、内臓は各種の薬に、というように、すべての部位を利用してきた。

我が先人たちはいただいたクジラの命に感謝して無駄なく利用し、その上でクジラの霊が成仏するように祈ったのである。

これとは対照的なのがアメリカの捕鯨である。19世紀中葉には、アメリカの捕鯨船は日本近海までクジラを捕りに来て、そのために1万頭ほどもいたセミクジラは1,000頭ほどに激減したと言われている。

それも灯油や機械油とするために、体重の10パーセントほどしかない脂肪をとるだけで、残りの肉も骨も内臓もすべて海に捨てていた。

アメリカ国内で石油が発掘されるようになると、捕鯨は衰退し、今度は一転して「クジラを捕る民族は野蛮だ」「クジラがかわいそうだ」と言い始める。

その変わり身の早さは別の問題として、日本人にはクジラに対して他国民にはない格別な思い入れがあった事を知っておく必要がある。

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