チュニジアの旧宗主国・フランスで路上強盗に遭った男

Zyankarlo/Shutterstock
 

店から宿までの道ははっきりしないが、宿のある方角ならおぼろげにわかる。勘にたよって歩くうち、僕は知らず知らずアフリカ人の移民街へと足を踏み入れていたらしい。

フランスは、アフリカ、特に地中海沿いの北アフリカに多くの植民地を抱えていたから、それらがアルジェリア、チュニジア、モロッコ、モーリタニアなどとして独立したあとも密接な関係を維持していたせいで、フランス語をしゃべる大量のアフリカ人が地中海を北上して合法違法にフランスに入国し、住み着いていた。

時刻はすでに午後10時近い。人通りは閑散としているが、ときたますれ違う顔という顔が黒人だ。暗がりに見る黒人は、慣れないと怖い。白目と歯だけが白く、もし全身黒尽くめの衣装だったらそれこそたまげる。

僕は黒人の国へ行ったことがないし黒人の友人もいないので、このときの体験はインパクトがあった。

移民街を過ぎ、宿のあるパルー通りに出たところで3人組の黒人の若者に声をかけられた。フランス語だ。自慢じゃないがフランス語はちんぷんかんぷんである。大学で第2外国語にフランス語を選択したが、それはフランス語の教室にはかわいい子が多いといううわさのせいだった。「妊娠する」が「シャセジュセ」、「お風呂に入る」が「カタマデジャポーン」をフランス語だとおもって卒業した口である。

彼らがなにをいっているのかわからないので、英語で「わからない」と返事して歩きつづける。道を聞かれたとおもったからだ。

彼らはなにやら話しながら僕のあとについてくる。ちょうど宿の前まで来た。この安宿は宿泊者全員に表玄関のドアのキーを渡していて、24時間、客が勝手に錠を開閉して出入りする。

ちょうど鍵穴にキーを差し込もうとしたとき、彼らからまた声をかけられた。いつもの僕ならそれを無視してすばやくドアを開けてからだを滑り込ませていたはずなのに、この日はお目当てのバレエを見られなくて消化不良気味だったことが災いした。

振り向くと、ひとりが右手で「カモン」のしぐさをするので、一瞬ためらったものの、彼らのあとをのこのこついていった。もしかするとこの連中は東洋人に興味があり、ちょっと立ち話でもしたいのだろうと想像したからだ。僕も黒人と話すことがめったにないし、暇つぶしにもなる。

一緒にパルー通りを50メートルも歩いただろうか、徐々に街灯が少なくなりだしたので急に不安になり、僕はきびすを返した。

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