京都らしさのすべてがある。五感で古都に触れられる花見小路の旅

 

建仁寺

建仁寺は、1202年、鎌倉時代に臨済宗の開祖・栄西(ようさい)によって創建されました。開基は鎌倉幕府2代将軍源頼家(よりいえ)です。栄西は、宋(中国)に渡り帰国後、臨済宗の教えを日本に伝えた宗祖です。帰国してすぐ、栄西は京都に禅寺を作ろうと試みました。しかし、当時の京都は比叡山延暦寺の勢力が強く、禅寺を開くことは出来ませんでした。鎌倉時代に栄えた新仏教(臨済宗、浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、曹洞宗)などはこの頃はまだ新興宗教という位置づけでした。そのため、真言宗と天台宗以外は肩身の狭い思いをした時代だったのでしょう。なので、栄西はまず九州博多に聖福寺を、鎌倉に寿福寺を建立しました。京都に建仁寺を建てることが出来たのはその後でした。

創建当時、建仁寺には真言宗と天台宗の他に禅宗の三つの宗派を置いて開かれたと伝えられています。当時新興宗教であった臨済宗はまだ肩身が狭いので単独で禅宗のお寺を京都に開くことは難しかったのです。当時大きな力を持っていた真言宗と天台宗にかなり配慮していたことが伺えます。建仁寺が創建されてから50年以上経った1259年に11世住職として宋僧の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入山します。この時にようやく建仁寺は本格的な禅寺になったと伝わります。あの威風堂々とした建仁寺でさえも最初は新参者として50年以上も小さくなって時期を過ごしたしていたことは注目に値します。

京都の寺社仏閣の例外にもれず、応仁の乱やその後の戦乱で伽藍(がらん)=(寺院の主要建物群)が焼失し一時荒廃しまします。しかし、その後1586年安土桃山時代に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)によって再興されます。寺格も整えられ現在も京都五山第3位の格式を誇っています。地元祇園界隈では、「けんにんさん」と呼ばれ親しまれています。

建仁寺の境内は広く、伽藍は壮大です。伽藍を全て見て周るだけでかなり時間がかかります。建仁寺は何度も戦火に見舞われたため、残念ながら創建当時の建物はありません。だからと言って見るべきものは沢山あります。戦国時代末期から明治時代にかけて、再建や他の寺院からの移築によって伽藍が整えられているからです。

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主な見どころ

方丈は1487年に広島の安国寺に建立され、1599年に安国寺恵瓊によって移築されたものです。現在の建物は昭和9年の室戸台風で倒壊し、昭和15年に再建されたものです。勅使門は平清盛の嫡男・重盛の六波羅邸の門を移築したものと伝えられています。この勅使門には戦乱の矢の痕があり、矢根門(やのねもん)、矢立門とも言われています。

法堂(はっとう)の鏡天井に描かれる双龍図(そうりゅうず)は2002年、創建800年を記念して日本画家・小泉淳作が描いたものです。そして現在は京都国立博物館に寄託されてしまいましたが、俵屋宗達が描いた「風神雷神図屏風」のレプリカを見ることが出来ます。

● 「琳派 風神雷神図屏風」(メルマガ「おもしろい京都案内」第8号)

建仁寺ホームページ

アクセス

  • 電車
    京阪電車「祇園四条駅」徒歩7分
    阪急電車「河原町駅」徒歩10分
  • バス
    JR京都駅より 市バス 206系統・100系統・市バス「東山安井」徒歩5分
    市バス「南座前」徒歩7分・市バス「祇園」徒歩10分・「清水道」徒歩10分

建仁寺の周囲には塔頭(たっちゅう)寺院と呼ばれる子院が点在しています。両足院(りょうそくいん)は庭の美しさで有名なので機会がある時に是非訪れて見て下さい。両足院は通常非公開寺院ですが、半夏生が咲く夏の時期には特別公開されます。

両足院のホームページ

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