「かまどさん」誕生秘話~家族で挑んだ復活劇
そこで長谷が頼ったのが、当時、東武百貨店で働いていた長男の康弘だった。会社の窮状を伝えると、1997年、東武を辞めて戻ってきた。
「18億という数字を見たときはゾッとしましたが、力になれるものならなりたいな、と」(康弘)
康弘は経営を見直し、タイル事業から撤退。売り上げの3割だった伊賀焼きにかける。
ところが頼りにした焼き物の方でも、康弘の予期せぬ手痛いトラブルが起こってしまう。長谷が下請け仕事をもらっていた問屋と大げんか。当時、わずかながらオリジナル商品も作っていたのだが、そのアイデアを真似されて、取引を止めたのだ。
タイル事業はやめ、焼き物の下請け仕事までなくなりまさに八方塞がり。康弘は「本当にもうひとつの地獄に堕ちるような状態でした。もう続かないだろうなと思った」と、振り返る。
それでもなんとか生き残る道をと探し続けた康弘は、ある日、父の研究室できっかけをつかむ。康弘が偶然目にしたのは、長谷が書き溜めていた新商品のアイデアメモ。焼肉を作る土鍋に蒸し料理を作る鍋。いろいろなアイデアがあったが、そのひとつに康弘の目が止まった。それが「かまどさん」のメモだ。
「土鍋で炊いたほうが美味しいことは、僕らは小さい頃から知っていた。一般家庭でも美味しく便利に炊けたらきっと売れる。あの美味しさはみんな知らないから、と」(康弘)
そして私財を切り崩して会社を守りながら「かまどさん」の開発を進め、4年後の2000年、ついに完成。最初は売れなかったが、人気料理研究家の有元葉子さんがテレビや雑誌で「かまどさん」を使うと状況が一転。主婦の間で口コミ人気が広がり、大ヒットとなったのだ。
その後も長谷は、溜め込んできたアイデアを次々と商品化。焼肉ができる陶板焼きの土鍋「やきやきさん」、蒸し焼きができる土鍋「ふっくらさん」……これまでなかった調理器を作り出しヒットを連発した。
こうしてどん底時代に別れを告げ見事にV字回復。185年の歴史を持つ窯は、親子で作った新しい土鍋によって生き残った。
「作り手は使い手」~知られざる土鍋活用法
長谷が社員に、繰り返し言葉にして伝えているモットーがある。それは「作り手は真の使い手であれ」。繰り返し伝えた考えは社員に浸透していると言う。
最古参の女性社員、事務営業部の中森知子は伊賀焼き使いの達人だ。「本当に陶器が大好きです」と言う中森が、普通とは違う土鍋の使い方を見せてくれた。
まず土鍋の蓋に氷を入れ、さらに水も入れる。鍋本体にはそうめんを盛り付け、その間、蓋は放置。そして氷水を捨て、冷えた蓋を土鍋に戻す。こうすると「中の食材が冷えるんです。卓上冷蔵庫と呼んでいます」。熱を蓄える土鍋は冷気も蓄える。これで90分は冷えたまま。食材が乾くこともない。「お造りを盛ったり果物を盛ったり。ショートケーキにもいいです」と言う。
もうひとりの伊賀焼き使いの達人、製造事業部の佐藤和彦の十八番はカレー。炒めた鶏肉や野菜を肉厚の土鍋に移し、トマトソースなども加えていく。土鍋の蓄熱性を活かした煮込み料理だ。そこへ投入するのはカレールー。土鍋の遠赤外線効果が旨味を引き出すという。
こうした社員のアイデアから新商品、カレー専用の「カレー鍋」(8640円)も生まれた。
もちろん長谷も、使い手のことを考え、新しいニーズを探り続けている。「陶珍」(小、4644円)は伊賀の土で作った「おひつ」だ。電子レンジ用に開発。これでご飯を温めれば、普通にチンしたものとは別物になると言う。
ポイントは蓋を水に浸すこと。伊賀の土には気泡がたくさんあるので、蓋はたっぷり水を吸う。レンジにかければ、蓋の水分が蒸気に変わり、器の中を蒸し上げる。余分な水分は伊賀の土が吸い取ってくれるのでベチャベチャしない。
使い手となって、新しいニーズを見つけ出す。進化するライフスタイルと競争するように、長谷園の土鍋もまた、進化し続けている。
一度使うと病み付きになってしまう長谷園の土鍋。だが土鍋は落とせば割れる。そこで長谷園は、業界に先駆けてパーツ販売を行っている。これならたとえ蓋が割れても、全部を買い直さなくても良い。しかもパーツを全部買えば、ちょうど鍋1個分になる正直な料金設定だ。
買い直してもらった方が儲かるが、鍋を長く愛用して欲しいからと始めた。