「クリームパン」誕生のきっかけは、あのスイーツだった

 

東京・中村屋の創始者相馬愛蔵は信州・安曇野の人。今の安曇野の池田町の旧家の息子だった愛蔵は、妻、良の願いもだしがたく上京、700円の大金で本郷のパン店を買いとって、ささやかな店を開いたのがが明治35年(1902年)、二人のパン屋はけっこう売れ行きもよく、ここで日本最初のクリームパンが誕生したのは、開業3年目の明治38年(1905年)だった。このクリームパン誕生秘話が「小麦粉博物誌」(文化出版局昭和62年刊)という本に紹介されている。

相馬愛蔵の追憶によると、そもそものきっかけはシュークリームだったという。ある日、彼は、シュークリームを食べ、そのおいしさに驚く。と同時に、日頃何とかと新製品をと考えていた頭にひらめいたのは、このクリームをあんパンのあんのかわりに使ってみては、というアイデアだった。

さっそく試しに作り、店へ出すと好評だ。気を良くして前から出していたジャム入りワッフルにも応用してみると、これも売れ行きがいい。折りから来店した衆議院の議員にも試食してもらうと評判がいい。こうしてクリームパン、クリームワッフルは、開業間もない中村屋の目玉商品になっていく。

なお、相馬愛蔵の妻は、後に文名黒光。彫刻家萩原碌山の絶作<女>のモデル。あるいは大正期の若き新進芸術家たちを集めたサロンの女主人としても有名になる。

ところで、クリームパンの伝統的、オースドックスなスタイルは、何故かあの野球のクローブ型。このカタチは果たして、相馬愛蔵の代からなのかわからない。

もしまんじゅう形のあんパン、かしわもちスタイルのジャムパンに対抗して、このグローブ型を考案したとしたら、愛蔵夫妻は相当なアイデアマンだろう。

 

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団塊の世代以上には懐かしい郷愁の食べものたちをこよなく愛おしむエッセイです。それは祭りや縁日のアセチレン灯の下で食べた綿飴・イカ焼き・ラムネ、学校給食や帰りの駄菓子屋で食べたクジ菓子などなど。

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【著者】 UNCLE TELL 【発行周期】 月刊

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