コイケの憂鬱。圧勝した都民ファーストを襲う「悪役不在」の脱力感

 

派手な遊びっぷりの「証拠写真」5枚を添えた週刊ポスト6月2日号の記事から一部を引用しよう。

高級和食店から出てきたのが午後10時。次に向かったのが六本木のクラブ「M」だった。この店は座っただけで5万円、「ボトルを入れたら最低でも10万円」…連れの男性と同じく六本木にある「B」という店に…料金は1万円前後だが、女性たちにチップとして渡す「チケット」(10枚括りで1,000円)が別途必要になる。…「野田さんはバケツのような容器に入った大量のチップを用意していました。ビキニギャルが来るとチップを束にしてパンツにねじ込んでいました。気前の良い彼の前に女の子たちは列をなし、まさにハーレム状態でした」(居合わせた客)

これらの店の常連だったという。とても自分の給料だけで賄える遊び方とは思えない。だからこそ、アントニオ猪木議員が公金流用を疑い、警察に訴え出たのだろう。

もちろんサラリーマンでも資産家がいるわけで、濡れ衣かもしれないが、やや危なっかしいところがある人物には違いない。

それでも、小池知事が彼を再び代表に据えたのは、なにがしかの信頼関係があるからだろう。AbemaTVのインタビューで野田氏は小池都知事との関係について「20年近い付き合い」「使いやすいんじゃないですかね」などと語っている。

早大教育学部を卒業し、数年間はこれといって定職に就かなかった野田氏がはじめて政治家の秘書になったのは2000年のこと。当時、保守党の衆院議員だった小池氏の事務所に入った。小池氏は小沢一郎氏の自由党に所属していたが、自由党が自公両党との連立政権を離脱したのにともない、政権に残ることを望んだグループによる保守党結成に参加したのだ。

その保守党の公認で、秘書になったばかりの野田氏が2000年の衆院選に兵庫7区から立候補するという離れ業を演じたのも、小池氏の強い後押しがなければできないことだったに違いない。

その後、野田氏は東村山市議を2期つとめ、自民党から東京都議に当選したが、やがて離党し地域政党「東京維新の会」を立ち上げた。日本維新の会の傘下団体であろうとしたのだが、2012年9月、驚くべきことが起こった。

いわゆる「大日本帝国憲法復活請願問題」である。「占領憲法が憲法としては無効であることを確認し、大日本帝国憲法が現存するとする都議会決議がなされることを求めます」という都議会への請願の紹介者となった。

野田氏の資質は、「六本木豪遊」よりも、こちらで問われなければならない。請願の趣旨に賛同したから紹介者になったのである。

現行憲法は無効で明治憲法が生きている、つまり現行憲法を守らないでもよいと考える人に政治を行う資格はない。

都議選後、野田氏を代表に戻すことに関し、ジャーナリスト・佐々木俊尚氏にその問題を問われたさい、小池知事は「若気の至りでしょ」と語ったという。

たった5年前のことを、「若気の至り」で片づける感覚はどうかしている。都民ファーストの会を、国政でも反自民票の受け皿となるよう育てたいのなら、まず地域政党である現在の段階で、政党の性格を明確にしておく必要があるのではないか。

代表者が、明治憲法に従うべきだという考えを現在も持っているのかどうか、都民、国民の疑問に真摯に答えておくべきである。

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