借金8億からの大逆転。なぜ男は「世界一の庭師」になれたのか

 

「自分がつくっている庭など、どうてい足元にもおよばない」

長崎に戻ってから、借金返済と戦う毎日が続いた。金利だけで月100万円も返さなければならない。その窮地を救ってくれたのが庭づくりの仕事だった。5万円から30万円ほどの庭を盆も正月もなく、毎日2件ほどつくり続けた。

それでも取引先の左官屋、大工、植木屋さんには、入金があるまで支払いを待って貰う綱渡りがしばしばだった。いい加減な仕事をして悪い評判が立ったら、それで終わり。頼んでくれたお客さんを喜ばせ続けるしか道はなかった

2年ほど経って、これ以上、頑張れないかもしれない、と心が悲鳴をあげそうになっていた時、イギリスにチェルシー・フラワーショーという世界で一番権威のある庭づくりのコンテストがあることを知った。

すぐにイギリスに飛んだ。会場に一歩足を踏み入れたとたん、鳥肌が立った。それまで見たこともないようなこだわりぬいた庭が並んでいた。

「自分がつくっている庭など、どうてい足元にもおよばない」「恥ずかしい」、長崎でちょっと有名なガーデナー気分になっていた自分に赤面した。

長崎に戻って社員を集め、「チェルシー・フラワーショーに出てゴールドメダルをとると宣言した。花屋として成功して天狗になっていたのが一転、丸裸となり、この2年間「お客さんを喜ばせなければならない」と必死で庭造りに取り組んできた。そして心が枯れかけていた時に次の目標と出会えたのである。

「これだ!」

チェルシー・フラワーショーに出展するには、2、3ヶ月の間に、庭のデザインとコンセプトを固めて、書類申請をしなければならなかった。

庭造りの仕事を続けながら、時間の許す限り、デザインを考えた。しかし庭造りの雑誌や専門書を読んで真似をしようとしても、どうもしっくりしない。自分の求めているものとは何かが違う。申し込み期限のぎりぎりまで、ダメだダメだ、という日々が続いた。

しかし、ひとつの事を四六時中考えていると答えは向こうからやってくる。仕事から帰る車中で、長崎の海に沈みゆく夕日が、雲の切れ間から差し込み、キラキラ輝く海面が見えた。「これだ!」

夕日を見ながら涙が流れた。長崎で育ったいろいろな思い出が頭の中で駆け巡り、しみじみと感じ入っていた。このありのままの光景にこそ人の心を動かす何かがある

それからは、心打たれる風景をただひたすら探し回った。そして、ついに出会ったのが、熊本県阿蘇郡白水村の光景だった。

そこは川の源泉でした。透き通った泉の底から、ぼこん、ぼこんと水が湧いていました。静寂に包まれた森のなかに木漏れ日が差し込み、水面をキラキラと輝かせていた。聞こえるはずのない魚の泳ぐ音が、シュシュ、シュシュと聞こえてくる。まるで神が降りたかのような聖地。
(同上)

その風景が『』という作品のコンセプトとなった。それで応募したところ、シック・ガーデン(現代的都市庭園)部門の応募400チームほどの中から、実際に庭を作って審査を受ける10チームの一つに選ばれた。

「ガーデン難民」の奮闘

しかし海外からの出展をするには、旅費、滞在費、現地で調達する材料費などで5,000万円ほどの費用がかかるという。それに3ヶ月ほど日本での仕事を休まなければならない。

妻は「あんたね、住宅ローンも残っとるとよ。この間、銀行の人が家を計りにまで来たとよ。なのに、全然懲りんとね」と大反対した。社員たちもこのまま頑張れば、借金は返せるはず、と言う。

しかし、石原さんは言い出したら聞かなかった。親から相続した実家を1,000万円で売り、それ以外の金策も含めて、なんとか2,500万円を作った。イギリスに渡るまでの半年間、必死で庭を造り続けた。

そしてついにチーム総勢20名でイギリスに渡った。一番、困ったのは、野生動植物の輸出入を制限するワシントン条約のために、植物をすべて現地で調達しなければならないことだった。

メインとなる松が見つからない。盆栽ブームで松くらいあるだろうと思っていたが、日本でイメージしていた形や雰囲気のものとはまるで違う。

日本でスタッフがあちこちに電話をかけて、ようやく何十年か前にボンサイを扱うイギリスの園芸店に松を輸出していたと分かったが、それは売り物ではなく、まだ病気にかかっていた。「必ず返しますから」となんとか借りだし、「なんとか元気になってくれ」と声をかけながら、霧吹きで朝晩水をやった。

白い砂を注文したら届いたのは黄色い砂だった。仕方がないので、会場内を探し回り、オーストラリアチームが持っているのを見つけて、分けて貰った。ほかにも会場を歩き回っては「電線をください」などとやっていたので、会場を歩いていると、「ミスター石原何か困ったことはないかと声がかかるほどの有名人となった。

他のチームはテントに椅子やテーブルを並べて昼食をとるのに、石原さんのチームはビニールシートに座って弁当を食べ、そのまま昼寝で寝転がる始末。他のチームから「ガーデン難民」と呼ばれ、いろいろな差し入れまでしてもらった。

チーム同士で競い合っているけど、彼らを結んでいるのは庭造りへの愛情だった。

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