【書評】都立高や養護学校で「仰げば尊し」が歌われない理由

 

牧子さんはずっと前から、日本の若い人たちの声の小ささが気になっていた。加えて、語尾が消え、歯切れが悪く、明確に言い切ることを避ける傾向にある。かつての日本人はもっと大きな声で語り、曖昧な言い方はしなかった。「みたいな」や「とか」の濫用、妙なところで「?」と語尾上げ、断定を避ける

この頃の「かな」は不気味で、往生際が悪い使い方をされる。国会議員が「ちょっと残念だったかな」とか言う(笑)。なぜ断定しないのか。自分の気持ちになぜ「かな」が必要なのか。「なるのかなと思う」なんてのも、バカか~。わたしも国会議員の発言の、あまりの愚かさにウンザリする。いちおう有名大学の出身なのにな。

東京都の教育委員になって、毎年都立高や養護学校の卒業式、入学式に参列してきた。驚いたことに「仰げば尊しが歌われない。関係者の歯切れの悪い説明を、牧子さんが推測するに、その理由は「仰ぐ」「尊し」が「人間みな平等の考え方に合わないから、らしい。敬語は「差別」になる、らしい。バカか~。

「同じ人間、一方が一方に恩を感じるのは平等ではないし、もとより、教え導くのは教師の仕事である。恩を感じて仰ぎ見る必要はない!」と日教組がゴリ押ししているのだろう。「身を立て名をあげ」は立身出世・功名願望の「悪」であり、「身を立て名をあげ」たくても、さまざまな事情でそれができない人もいるからこれは「人権問題」だという。いいがかりも甚だしいではないか。

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