なぜ日本では「インクルーシブ教育」の議論が前に進まないのか?

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さまざまな福祉活動に関わるジャーナリストの引地達也さんは、障がい者の教育のあり方について、多くの問題が国民全体に認知されておらず、議論も進まない現状を数多く伝えています。今回のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』では、どのような障害を持っていても、その地域のすべての子どもが同じ教室で教育を受けられる環境であるべきという「インクルーシブ教育」の議論が進まない背景について解説。政府やメディアが距離を置き全体像でしか語らない状況を変える必要があると述べています。

今こそ「インクルーシブ教育」の議論を進めるべき

「インクルーシブ教育」との言葉は一般にまだまだ馴染みが薄い。障がい者の教育に関わる人には、目指すべき姿として「当たり前」だが、それ以外の世界では全く認識されていない概念でもある。この乖離が日本でインクルーシブが進んでいない現状であり、「インクルーシブ教育」の現在地だ。

政治やメディアの責任も指摘しつつ、このあたりで大きな国民的な議論には出来ないだろうか、と考えている。特に現在、現場で進行しているのは2014年に日本が批准した障害者権利条約に基づく、「インクルーシブ教育」の実現に向けた動きで、すべてを包摂する教育に向けても、「通常学級に障がい者を入れる」という考え方が先行してしまっている感がある。

新しい「インクルーシブ」の概念を統一しなければ、本来のあるべき姿としてのインクルーシブの実現は程遠い。だから議論が必要なのだと思う。このインクルーシブ教育の基本となるインクルージョンが世界的に認知されたのは、1994年。ユネスコがスペイン・サマランカで開催した「特別なニーズ教育に関する世界会議」で採択された「サマランカ宣言」であった。

宣言は「インクルーシブな方向性を持つ学校は、万人のための教育を達成する最も効果的な手段」と明確にすべての人のための教育としてあるべき姿を示したが、この宣言を具体的に検討する態度を日本政府もメディア側もとってこなかったまま、障害者権利条約が採択され、先進国が軒並み批准する中で、日本で条約に対応するための議論が始まることになった。しかし、その動きも民主党政権と文科省、メディアがビジョンを描けないまま、活発化することはなかった。これが2014年までの20年である。

障害者権利条約批准に向けての躓きもあった。民主党政権が2009年12月に障害者権利条約批准に必要な国内法整備に向けて始まったのが、「障害者権利条約の締結に必要な国内法の整備を始めとする我が国の障害者に係る制度の集中的な改革」とされる「障害者制度改革」。内閣総理大臣(発足当時は鳩山由紀夫首相)を本部長とする「障がい者制度改革推進本部」が設置され、インクルーシブ教育の議論はこの本部に置かれた「障がい者制度改革推進会議」の教育部門の議論から始まった

同会議は2010年1月から2012年7月まで合計38回行われたが、まずは15回を経て第一次意見をとりまとめた、その中で「インクルーシブ教育システム」については「検討を行う」という表現となり、この慎重な言い回しは文科省の消極性を示すものとなった。そして、私が朝日、毎日、読売の3紙を調べる限り、この模様を報じた記事はなかった

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