レジで待っている時、なぜイライラするのか。誰もが一度は覚えのある、現代人共通の謎の習性「レジ待ちイライラ」を、ビジネスに役立つ「テツガク」を語るメルマガ『中野明のストリートで哲学を語ってみた』の著者でノンフィクション作家の中野明さんが、ズバリ納得の理由で説明されています。
レジでイラつくのは、「基準」と比較してしまうから
私は待つのが大の苦手です。渋滞では車線をよく変更し、少しでも早く目的地に着こうとします。行列ができる店舗も苦手で、並んでまで食事をしようとは思いません。もちろんレジ待ちも大の苦手で、すぐにイライラします。同様の方も多数いらっしゃるのではないでしょうか。
参照点と関わり深いレジ待ちのイライラ
このメルマガの第9号で、「参照点」の話をしました。参照点とは、物事の見方を決める基準となる立ち位置のことでした。そして、人が感じる損得は参照点が重要な決め手の一つになりました。
思うに私たちが大嫌いなレジ待ちのイライラも、この参照点との関係が非常に深いように思います。
例えば、私があるレジの行列に並び、精算が済むまでの時間を5分と見積もったとします。この5分が私にとっての参照点になります。
仮にレジ待ちが3分で済んだとしましょう。この場合、基準の5分よりも2分早いことになります。そのため私はそれほど不愉快を感じずにレジをあとにできるでしょう。
ところが、レジ待ちが7分だったとしたら、参照点の5分を2分オーバーしています。そのため私はかなり不愉快な思いをしてレジをあとにするでしょう。場合によってはレジのおばさんに、不快感をあらわにしているかもしれません(あぁ、何と人間ができていないのだろう、私って…)。
ここからわかるのは、できるだけ時間的余裕をもった参照点を持つ方が、レジ待ちのイライラを抑えられることがわかります。
ところが、私たちが持つ参照点は、心の中で決めた待ち時間だけとは限りません。場合によっては、周囲にいる人が参照点になることがあります。というか、レジ待ちの場合、こちらのケースの方が多いかもしれません。
私がレジ待ちである行列を選んだとします。隣のレジ待ちを見るとすでに並んでいる人がいます。さらに、しばらくして、別の人が私の隣のレジ待ちに並びました。私より前に隣のレジ待ちに並んでいた人や、いま列に並んだこれら見知らぬ人が、私のレジ待ちの参照点になることが往々にしてあります。どういうことか説明しましょう。
レジ待ちに見る店舗運営の不公平感
仮に私よりも早くから並んでいた隣のレジ待ちの人よりも、私の方が先に精算を済ませたとしましょう。私は参照点にしたその人よりも短時間で行列から解放されたことになりますから、それほどイライラを感じずにレジをあとにできるでしょう。
ところが逆に、私よりもあとから隣のレジ待ちに並んだ人が、私よりも先に精算を済ませたとします。この場合、私は参照点にしたその人よりも長くレジを待たされたことになりますから、イライラ感は高まるに違いありません。皆さんも同様の経験をされたことがきっとあるはずです。
このように私たちは、心の中の時間だけではなく、レジ待ちの周囲の人も参照点にすることができます。そして、その参照点いかんによって、私の気分は良くもなり、悪くもなるわけです。
ただここでふと気づくことがあります。そもそも、何故、あとからレジ待ちに並んだ人が、私よりも先に精算を済ませるのでしょうか。先に並んでいる人が、先に精算を済ませるのは、公正であり当たり前のことです。
しかし、この当たり前が当たり前でなくなったとき、私たちのイライラが嵩じるのだと思います。つまりこのイライラの背景には、待つことに対する不満よりもむしろ、店舗の運営に対する不満、要するに並んだ人から順に精算しないという、公正さに欠けた店舗運営に対する不満や怒りが存在することがわかります。この不公正さに私たちは無性にイライラするわけです。
最近では、レジ待ちの不公平感をなくすために、フォーク型のレジ待ちを採用する店舗も多くなってきています。しかしそれよりも、アマゾンが手掛けるレジ無し店舗アマゾン・ゴーが、レジ待ちに公正さを取り戻す強力な一手になると思うのですが、皆さんはどのようにお考えでしょうか。
レジ待ちのイライラ、その背景には公正さに欠けた店舗運営がある。
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