普段は牛乳が飲めないのに、ここの牛乳なら飲める。そういわれるという「奇跡の牛乳」を作っている農家さんがいます。今回のメルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、山地酪農を日本で実現させた吉塚公雄さんのインタビューを掲載しています。
自然力を生かす「奇跡の牛乳」はかくて生まれた
一面に広がる18ヘクタールの山地(やまち)を、牛たちが気の赴くままに草を食み、歩き回る……。
大地に根差したこの牧場で生まれる牛乳が、常識を超えた「奇跡」を起こしている。恩師・猶原恭爾博士が最後の希望を託した「山地酪農」理論に日本の農業の光を見、10年間電線も通らない山林を開墾。今日に至らしめた吉塚公雄さんの50年の奮闘とは。
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──まず、農場の広さに圧倒されました。
(吉塚)
昭和49年、22歳でこの田野畑村に籍を持ってきましたから、今年ちょうど50年ですね。一本ずつ木を伐きり倒すところから始めて、いま、ようやく18ヘクタールです。牛たちは朝夕の搾乳で3時間くらいは牛舎に入りますが、それ以外は雨や雪の日も牧場を自由に歩いています。
──この傾斜のある草地を上っていくのですか?
(吉塚)
あの丘のほうまで行きます。牛たちは草を食べながら山を歩き回って、糞尿を撒いてくれます。だから農薬が要らないし、肥培も自分でやってくれるわけです。
そうやって自活できる能力があるのに、昨今の日本の酪農では牛舎に入れて飼うことで奪っているということです。
歩かなくなると爪は伸びるし、活力がなくなって短命になります。一般的な乳牛の寿命はだいたい5~6歳ですけど、うちが目指しているのは20歳。いままで最長16歳まで生きました。
──吉塚さんらが手掛ける牛乳は、地元に限らず全国から注文が相次ぎ、「奇跡」の牛乳だという人もいるそうですね。
(吉塚)
「この牛乳なら不思議と飲めるのよ」っていう人が、すごく多いです。牛乳を飲むとお腹がゴロゴロしてしまう体質で、牛乳なんて一生飲めないと思っていた、という女性が、盛岡でうちの後援会長をやってくれています。
つい昨日も、ずっと牛乳を配達しているご夫婦から思いの籠ったお手紙をいただきましたし、遠方のお客様で、振込用紙の通信欄にびっちりメッセージをくださる方も多いですね。本来お礼を言わなきゃいけないのは我われなのに、逆にお礼を言われるんです。こんな幸せなことはありませんよ。