宮澤喜一政権のもと、PKO協力法が成立に向けて動いている一方、1992年4月2日の段階になっても、肝心の自衛隊派遣の準備は防衛庁・自衛隊ともに未着手の状態でした。
それを陸上幕僚監部で確認した私は、宮沢首相の官房副長官役を務めていた浜田卓二郎代議士に伝えました。浜田氏こそFLSの代表で、谷垣禎一氏、高村正彦氏といった若手の有力議員を率いて、自民党内で大きな発言力を備えつつありました。FLSは浜田議員が病気のため政界から身を引いたことで解散しましたが、多くの有力議員を輩出しています。
宮沢首相の了解のもと、浜田氏と私は陸上幕僚監部の聞き取りを行い、カンボジアの情報収集など具体的な準備が始まることになったのです。
そのとき、FLSの事務局長だった小沢鋭仁氏(のちに民主党政権で環境大臣)とFLSのスタッフたちがまとめたものが、最初のPKO5原則なのです。
PKO5原則が閣議で了解された直後、FLS事務局から私のもとに「しばらくは他言無用に願います」と記されたFAXが届き、いまも手元にあります。
正しい報道ということになれば、ここまで踏み込んだものでなければなりません。今回の読売新聞の記事の場合、表ということなので経過の説明は無理でしょう。しかし、FLSの活動にまで踏み込んだ取材が読売新聞側にあれば、もう少し違った表現になったのは間違いありません。
ジャーナリズム論に関わる立場として、このような形で誤報が誤報を生み、あたかも歴史の真実であるかのように定着していくことは避けなければならないと思っています。
このような事態は、どこにでも転がっていると思いますが、歴史を正確に編んでいくためにも、政府に記録を残させることの重要性を強調しておきたいと思います。
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