誰の指図か。自民党防衛族が敵基地攻撃論を持ち出してきた意図

reizei20200707
 

6月15日に河野防衛大臣が白紙撤回を発表したミサイル迎撃システム「イージス・アショア」配備に替わり、突如浮上してきた「敵基地攻撃論」。野党やマスコミは猛反発していますが、敵国と言えどもその領土を先制攻撃することは許容されうるものなのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では著者で米国在住作家の冷泉彰彦さんが、多方面から見た先制攻撃のそのものの高すぎるリスクを解説するとともに、それでも自民党の防衛族が敵基地攻撃論を持ち出してきた思惑を推測しています。

敵基地攻撃論を考える

20世紀以降の戦争においては、基本的に先制攻撃というのはコストが高くつくということになっています。反対に言えば、19世紀までの戦争においては、明らかに軍事的優越という状況がある中で、他国への侵攻ないし、自国の防衛のために先制するという戦術は成り立っていました。

場合にもよりますが、堂々と先制攻撃して敵を圧倒するという戦術にしても、劣勢を挽回するためにコソコソと奇襲を行う戦術にしても、どちらも戦争を覚悟する中では特にコストが高いわけではなく、十分に選択肢として考慮されたのです。

ではどうして20世紀以降はコストが高くなったのかというと、3つの理由があります。1つは、兵器の技術革新により大量殺戮が可能となる中で、19世紀までは人類社会において必要悪とされていた戦争による死というものが、倫理的により敵視されるようになったという点があります。いわゆる反戦思想、厭戦思想、平和思想というものが一般的になると同時に、戦争イコール悪ということが政治的なタテマエとしても成立したということです。

2つ目には、メディアの発達です。19世紀までであれば隠蔽が可能であった大量殺戮が、いとも簡単に写真と文章で数日内に世界中に伝達されるようになりました。戦争に対する嫌悪感という漠然とした感情が人類を支配する中で、攻撃の事実が簡単に伝達されるということは、先制攻撃イコール開戦責任というイメージで、まず開戦の時点でマイナスイメージを背負うことになったのです。

3つ目は国際的な平和維持組織の存在です。20世紀初頭の国際連盟というのは十分に機能することはありませんでしたが、第二次大戦後に発足した国際連合というのは、曲がりなりにも戦争行為を厳しく規制する体制を構築しています。その結果として現在、戦争を合法化する、つまり戦時国際法の適用を受けて戦闘行為を行うには、国連安保理の承認を必要とします。反対に国連を無視して先制攻撃を行えば、国連全体を敵に回すことになりかねません。

つまり、21世紀の国際社会において、先制攻撃を行うというのは、下手をすると「開戦責任という重罪」という汚名を着せられ、同盟国の援助は難しくなり、国際世論の支持も遠ざかるということで、大きなコストを払わされることになります。

例外は、相手が小規模なテロ集団であるとか、仮に国であっても国際法違反や人道犯罪などの証拠が積み上がっており、問題や脅威の除去のための攻撃ということが国際社会と国連で広範に共有されているケースです。そうした事態であっても、例えばブッシュのアフガン、イラク戦争が失敗したように、先制攻撃という戦術は大きなコストを背負った不利な戦争を覚悟しなくてはできません。

勿論、自民党の防衛族諸兄姉は、そんなことは承知だと思います。ですから、今回の「敵基地攻撃能力」という議論は、開戦時の国際政治を想定した軍略ということではなく、あくまで「抑止力論議」の範囲内ということになると思います。つまり、本当に攻撃することは全く考えておらず、相手からの先制攻撃を受ける可能性を低める、要するに相手の攻撃を抑止する効果を期待するというわけです。

今回、河野防衛相が「イージス・アショア」の設置をキャンセルした中で、「それではミサイル防衛が心配だ」という世論の恐怖感情を埋めるには、仮に「敵基地攻撃能力」を保有しておけば抑止力として安心…そんなストーリーです。

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