なぜ松下幸之助は、26人中25番目の取締役を社長に大抜擢したのか

 

3.山下俊彦さん(抜擢された三代目社長)

松下が「大企業病」の兆候を持ったときに、それの建て直しの役目を担って社長に指名されたのが山下さんでした。当時26名の取締役がいたのですが、上から25番目であったのにもかかわらずのことで、山下さんが実現させたウェスト電気(関係会社)と冷機事業部での業績手腕が評価されてのことでした。

出身校は大阪の泉尾工業高校なのですが、学校の先生にすすめられて当時従業員4,000人の中堅企業であった松下電器を受けて入ってしまったということで縁を持つことになったのでした。

入社してからは主に現場で働いていて、仕事もそんなに面白いものでなくマンネリになって、こんなことでいいのだろうかと思ったそうで。そんななか、ゴーリキーの戯曲『どん底』の台詞「仕事が楽しみなら人生は楽園だ。仕事が義務なら人生は地獄だ」が胸につきささり「仕事を楽しむからこそ、良い仕事ができる」の境地を持たれたそうです。

山下さんは、特に幸之助さん薫陶を受けて能力を伸ばしたのではないのですが、松下の企業文化のなかで能力を伸ばしさらにオランダのフィリップスでの技術研修時に計算しつくされた管理手法をも知りました。ウェスト電気では「ガラス張り経営」の大切さを、冷機事業部では「自分の城は自分で守る」の気概と計画の大事さを体得させられました。

社長に就任して会社全体を診断し気付いたことは、企業体質そのものが悪化して「大企業病」にかかりつつあったことだそうで、そこで将来を考え、事業構造の改革、経営体質の強化、海外事業の推進に精力的に取り組み、その最大の成果は「このままでは松下には将来はない」という危機感を会社に浸透させたことだと言われています。

社長になる前のエアコン事業部長時代から、山下さんは日々の思いを大学ノートにつづっていましたが、そこにこう書いています。「BSやPLはいずれも過去の業績の表示であって、会社の未来価値を示すものではない」「未来は永久に未知の世界である。会社の将来性に対してアテになるのは資本金や資産価値ではない。『人間だけ』だ」。

松下幸之助さんは必死で「人を求めました」。なぜならば、企業が社会貢献を行い、継続して存続するのにはそれしか法がないからであり、上記にあげた3人について、中尾さんを見出さなければ、初期ヒット商品なく、高橋さんを獲得しなければ経営の近代化はできず、山下さんを抜擢しなければ大企業病に罹ったままだったからです。

ここに経営者の役割の重要な一端が明瞭になります。経営者は効用を持つ経営理念、使命観のもとに、正しい人間観をもって人材を求め育み活躍してもらわなければなりません。逆にいうと、人は正しい人間観をもつ経営者のもとで、経営理念、使命観により導かなければ活きた仕事ができないということになります。

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