「死後の世界」は本当にあるのか。心理学者が科学的理論を駆使して考えた

 

【新宗教】

自分という意識が死後においてどうなるのかは、本人が死んでみないと分からないことであり、今のところ、生きている内に「客観的」に結論を下せることではないのです。ですから、その人がどのような「死後のイメージ」を現実的なものとして感じるかは「宗教」の領域のことになります。

ここで言う宗教とは、現実の「体験」によって知り得ない大切な事柄に対して認識すること、信ずることを指しています。ですから、特定の伝統的な宗教に対する信仰があるとか、○○教の××派に所属しているというようなこととは別の次元の話です。たとえ無神論者であろうが、「死んでしまえば全て終わり」と思っていようが、体験で知り得ないことを信じている以上は、その人が宗教的な信念を持っているということになります。

このように整理してみると、「死後も霊魂が連続する」と考える人と、「死ねば全て終わり」と考える人の対立は、個人的な「宗教観」の違いにより生じるものであり、俗に信じられているように「科学対宗教」の対立でもなければ「現実主義対信仰心」の対立でもありません。

死んでしまえば全て終わりであるという「信仰」は、今に始まったことではないのですが、近代の合理主義や自然科学主義、あるいは唯物論的な世界観といったものが影響して力を得、広く流行して、一種の「新宗教」のようなものになりました。それが現在では、個人の行動や社会的文化的な現象に強い影響を与えています。

この「死ねば終わり」信仰は、人をニヒリズム(Nihilism:虚無主義)的傾向に導きます。それは、刹那(せつな:極めて短い時間)的な享楽(きょうらく:快楽にふける)を優先させる傾向です。明日は無いのだから、今が楽しければ良い。善悪などは人間が決めたこと、この世に価値は存在しない。自分に残された貴重な時間を楽しむためには、他人のことなどかまってはいられない。お金がなければ享楽は得られないから、法律を破り、他人を犠牲にしてでもお金を稼ぐことを最優先にする。

まさに、経済アナリストの藤原直哉さんがよく批判する「今だけ、金だけ、自分だけ」路線です。こうした生き方に言いようのない「寂しさ」を感じるのは私だけではないでしょう。

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