峯村氏は政治部ではなく、安倍氏を取材対象としてないので、指南書問題とは話の性質が違うという言い訳ができるかもしれない。事実、「安倍氏からは完全に独立した第三者として専門的知見を頼りにされ助言する関係であった」と峯村氏は強調する。
しかし、政治部であろうとなかろうと、政治家の代理でメディアの編集に口を挟むというのは、記者のとるべき姿勢ではない。峯村氏もわかっているはずだ。峯村氏はnoteにこう書いている。
私はひとりのジャーナリストとして、また、ひとりの日本人として、国論を二分するニュークリアシェアリングについて、とんでもない記事が出てしまっては、国民に対する重大な誤報となりますし、国際的にも日本の信用が失墜しかねないことを非常に危惧しました。また、ジャーナリストにとって誤報を防ぐことが最も重要なことであり、今、現実に誤報を食い止めることができるのは自分しかいない、という使命感も感じました。
記者が政治家に頼まれて他のメディアの編集に口を挟んだことを正当化するためだろうが、なんという大仰で傲慢な言い方だろうか。
峯村氏は「ボーン・上田国際記念記者賞」や「新聞協会賞」を受賞した優秀なジャーナリストだ。大学で教鞭もとっている。だが、その実力は、謙虚な姿勢のなかでこそ輝くのではないだろうか。
峯村氏の問題は、記者が批判的視点を保ったまま有力政治家と付き合うことの難しさをあらためて示した。記者として実績をあげ、政治家にも進講できるようになって鼻高々になるのは、ある意味自然なこととはいえ、そこに落とし穴があるのは確かだ。傲慢の虫は誰の中にも潜んでいるが、つけ上がらせると、ろくなことにならない。
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