人間性が欠けた独裁者。「プーチン帝国」ロシアを世界が見殺しにする日

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プーチン大統領による一方的な軍事侵攻を受け、多くの国民が犠牲となっているウクライナですが、ロシアとの因縁は16世紀にまで遡るもので、今日に至るまで夥しい血が流されてきたという事実をご存知でしょうか。今回のメルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「虫の目、鳥の目、歴史の目」』では著者の嶌さんが、多くの日本人が知らないウクライナの国家成立と戦争の歴史を紹介。さらに終わりの見えないウクライナ紛争を俯瞰的に考察するとともに、自国の将来のため、今ロシアが何をなすべきかについての個人的な見解を記しています。

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因縁のロシアとウクライナの対立 ─かつてウクライナは欧州最大の国家─

ウクライナは、現在のロシアとの激しい闘いが報道されるまで日本人にとって馴染みの薄い国だった。面積は日本の約1.6倍。人口は約5,000万人と東ヨーロッパではロシアに次ぐ大国である。首都はキーウ(キエフ)。

地理的には、東はロシア、西はポーランド、スロバキア、ハンガリー、南はルーマニア、モルドバ、北はベラルーシに面し、アゾフ海、黒海に沿った海岸線を持つ。森林や草原地帯が多く紀元前6000年時代から農業を始めていた。数万年前の旧石器時代の遺跡があり、さらに新石器時代の農耕集落跡は、東欧では最古といわれている。

当時の住民はスラブ系民族の先祖とみられ、紀元前8世紀から同3世紀にかけてはイラン系遊牧騎馬民族などを中心とする歴史のある遊牧民国家で、スキタイ人とも呼ばれていた。紀元前7世紀から同4世紀のウクライナにはスキタイの遺跡が残っている。遊牧民のほか農耕のスキタイ人もいて穀物、豆、粟、玉ネギなどを栽培していた。

紀元後に入ると、東スラブ民族の統一国家を成立させるが、モンゴルやコサックなども肥沃な黒土の農業地帯に参入し、様々な勢力が衝突した。ただ11世紀に成立していたウクライナの前身ともいえるキエフ大公国は150万平方キロメートルの広さを持つ欧州最大の国家だった。

ただ、14世紀以降はリトアニアやポーランドの支配下に入り、16世紀になるとロシア帝国がウクライナで版図を拡大した。さらに1667年になると、今度はロシアと新興のポーランドがウクライナの分割で合意したとされる。その後1917年のロシア革命後に、一時ウクライナが独立を宣言した。

その後、1920年の内戦でロシア軍が勝利し、ウクライナ社会主義共和国が成立。1922年にロシア、ベラルーシなどとソビエト連邦を結成した。そして1954年、クリミア半島がソ連邦からウクライナに編入された。しかしゴルバチョフ政権下のペレストロイカ改革の過程でウクライナの民主派勢力が多数の議席を獲得。1989年にさまざまな権利をソ連から取り戻し、1991年のソ連邦崩壊により再びウクライナが人民共和国として独立したのだ。

2004年のウクライナ・オレンジ革命で親欧米政権が発足した。しかし、2014年になると親ロシア派住民とプーチンのロシアがウクライナ南部のクリミア半島を一方的に併合して現在の対立に至っている。

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