こうまで違う台湾と韓国。何が少年工と徴用工の差を分けたのか?

 

慰安婦問題にしても、日本が謝罪や賠償を行う必要などまったくないものでしたが、徴用工問題はさらに日本に何ら責任のない、しかも明らかに1965年の日韓請求権協定で日韓双方が「完全かつ最終的に解決された」と確認している事柄です。

元徴用工問題は、2018年10月、元徴用工とされる4人が新日鉄住金に対して行った損害賠償請求で、韓国大法院が原告勝訴の判決を出したことが元凶となってきました。当時の安倍首相は1965年の日韓請求権協定をふまえて「国際法上ありえない判断」だと即座に述べましたが、これはそのとおりです。

そもそも、この原告の元徴用工4人は、日本側の募集に応じた労働者であって、強制的に労働させられたわけではないのです。にもかかわらず、強制的に連れてこられ労働されたかのように振る舞っているのは、「慰安婦」と同じ構図です。

韓国「元徴用工訴訟」の原告が「元徴用工ではない」矛盾

現在でもそうですが、労働の原理からいえば、低賃金のところから高賃金のところへと労働者は移動するのが一般的です。そしてその原理どおり、日韓合邦後、半島の労働者は内地の日本列島にぞくぞくと流入していったのです。これら低賃金労働者は、内地の失業者を増やしただけでなく、犯罪者となって悪事をする者も少なくありませんでした。

中央政府は、朝鮮総督府に対して、なんとか朝鮮半島の人間が日本に流入しないよう、制限または阻止してほしいと協議や要請をすることもしばしばだったのです。強制連行どころか、阻止したいほど勝手に流入してきたわけです。

日韓合邦後、朝鮮人が日本へ入国するには、今と変わらぬ厳しい規制がありました。しかし、当時の日本政府当局者は、朝鮮人を植民地としてみなす法的根拠がなく、あくまで日本国籍を有する者とみなしていたため、実際には容易に入国できたのです。当時の内務省警保局は、朝鮮人に対して、「渡航阻止の手続きは政策的な問題であり、何等法的根拠に基づく絶対的のごときにあらず」と見なしていました。

ところが、あまりにも朝鮮人が日本へ殺到したため、朝鮮総督府は、日本企業の朝鮮人募集攻勢に対して、「労働者募集取締」という行政指導を行い、厳しく規制しました。旅行も、日本をはじめとする海外への渡航は厳しく制限していました。

この渡航制限制度に関して、当時の民族紙「東亜日報」(1921年9月9日付)は、社説で不満を述べています。「朝鮮人全体を無視し侮辱する悪法」だとして、撤廃キャンペーンまで張ったのです。

こうした動きに押されるかたちで、1922年12月5日、朝鮮総督府は「府令第一五三号」を出して渡航制限制度を撤廃せざるをえませんでした。ただ、やはり朝鮮人が日本本土に殺到している状況を鑑みて、警保局と総督府は規制を厳しくして事実上の渡航制限をかけるようになります。

これに対し、1924年5月17日、釜山港では渡日制限撤廃を訴える5万人ほどの市民集会が開かれ、朝鮮労農総同盟、朝鮮青年総同盟の二団体が、内務省と総督府を相手どって渡日制限撤廃の抗議を繰り広げています。

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