こうした状態をまっとうな判断で回避するならば、Generative AIを使って仕事をする人と、その仕事の管理の仕事する人の職は維持されるでしょう。つまり、「仕事」はなくならないわけです。そして、Generative AIを使って仕事をしている人は、情報の参照先をGoogle検索や過去の他の人の仕事、あるいは世間の時流チェックなどからGenerative AIに変えるだけです。
でもって、Generative AIは概ねそうした情報、つまり過去に誰かが生成した情報をベースに構築されているのですから状況はほとんど何も変わっていないと言えます。あとは、最近の時流に合わせてアレンジ、みたいな部分を自分の手でやればOKでしょう。
この場合、仕事者に必要スキルとはGenerative AIをいかに使うかであり、その生成データを判断し必要に応じてアレンジするセンスだと言えそうです。
■情報的技能労働者
上記はハッピーな(≒楽観的な)イメージですが、もちろんそんなに単純に何もかもがうまくいくとは限りません。問題は、Generative AIが自動的にやってくれるような作業の手間が「仕事」だと思われていて、そこに報酬が発生してた場合です。
ある人が、必死にExcelのシートAからシートBにデータを転記し、ただそれをプリントアウトした「報告書」を上司に提出することを「仕事」にしていたとしたら、たしかにその人はGenerative AIの登場によって完全に仕事が奪われてしまうかもしれません。
でも、結局のところその仕事は、情報やデータに関する仕事をしていたとしても、「知識労働者」ではなかったのです。たしかにExcelの操作には知識が必要です。データをコピペする操作もOSの知識が必要です。だからといって、それをしていたら「知識労働者」と言えるかといえばノーでしょう。なにせトラックを運転するのだって、操作の知識は必要なわけですが、トラック運転手を知識労働者とは呼ばないでしょう。むしろそれは技能労働者と呼ぶべき存在です。
だとすれば、次のような構図の整理ができます。まず仕事のスタイルとして、ホワイトワーカーとブルーワーカーという二項が立ちます。ホワイトワーカーはオフィスの机の前で仕事をするような人で、ブルーワーカーは現場や工場で働く人です。雑なまとめだと、前者は頭を使って仕事をする人で、後者は体を使って仕事をする人になるわけですが、その捉え方にはズレがあります。上記のようにパソコンを使っていたとしても頭ではなく主に体で仕事をしている人もいるからです。
つまり、実際の仕事においては「ホワイトワーカーではあるが、知識労働者ではない人」がいるのです。もう少し精緻に言うと、ホワイトワーカーにおいては仕事における知識労働の割合に違いがある、となります。そしてその割合が低いほど“Generative AIに仕事を奪われる”度合いが大きいと推測できます。
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