ChatGPTに奪われやすい仕事を考えて見えてきた「知識労働者」の定義

 

では、たとえばMicrosoft WordとGPT-4が接続したら、「仕事」の有り様はどう変わるでしょうか。

ここで「疑念派」の考え方を検討しておきましょう。たとえば学校の課題や小論文執筆にGPT-4を使うのはけしからん、という視点があります。まあ、言いたいことがわからないわけではありません。ちゃんと自分でやってこその「宿題」なわけです。

では、GPT-4を禁止した世界では学生たちは皆ゼロからそうした成果物を作成しているのでしょうか。かなり怪しいと思います。結局ググったり、他人の手を借りたり(ときには行きすぎた手助けのこともあるでしょう)と、なんとか「やり遂げる」手段を駆使して達成していることでしょう。

同じことは「仕事」についても言えます。上司に企画書を提出しようとするとき、ゼロからスタートする人はほとんどいないと思います。つまり、その分野の入門書を読むことから始めて数年かけてその分野の専門書や論文を読破した後で企画書を作成する、なんてことはほぼないでしょう。

まず企画書の書き方・テンプレートをよくあるサイトから探してきて、時流に乗ったよく似た企画を探し、それに「アレンジ」を加えて企画書を仕上げる。そういう「仕事のやり方」が多いのではないでしょうか。なんなら去年の企画案をベースにして、そこに最新データを加えて少し違ったものにする、ということすらあるかもしれません。なんにせよ、ゼロからの作成なんてほとんどしていないわけです。

これは企画書だけでなく報告書でも反省文でも、なんなら分析でも同じです。だいたいの仕事は繰り返しやパターンで構築されており、そこでは外部の(つまり自前の脳以外の)情報が大量に使われています。というか、それがなければ仕事は成立しない、とすら言えるでしょう。

■人間ひとりが抱え込める限界

さて、仮に「既存の情報をベースに少しアレンジしたものを作成する」という仕事が、Generative AIによってほぼ代替されてしまうとしたら、知識労働者の仕事は完全になくなってしまうのでしょうか。

たとえば、先ほどの例では上司に企画書を提出しようとしていたわけですが、そもそも上司がGenerative AIを使って企画案をまとめればその部下は不要になる、という「効率化」は考えられます。そのような効率化をどんどん進めるとどうなるかというと、あらゆることをその「上司」が自分でやらなければいけない、という世界です。

これはカル・ニューポートが『超没入』で指摘している問題ですが、デジタル化によってほとんどのことを個人ができるようになってしまったので、事務職員などを削減することができたが、その代わりあらゆることを自分ひとりでやらなければならなくなってしまった悲惨な状態をさらに先鋭化させた状態だと言えます。

この記事の著者・倉下忠憲さんのメルマガ

初月無料で読む

print
いま読まれてます

  • ChatGPTに奪われやすい仕事を考えて見えてきた「知識労働者」の定義
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け