■知識労働者とは
かつて梅棹忠夫は「知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ」と説きました。情報を扱うことではなく、頭をはたらかせ、あたらしいことがらを、他の人にわかる形でまとめあげるのが知的生産なのです。
昨今のGenerative AIは「ひとにわかるかたちで提出すること」に関して爆発的な能力向上を見せてくれました。単純に喜ばしいことです。とは言え、そのことは前二者も満たしている証左にはなりません。むしろこの点はまだまだできていないと言えるでしょう(これについては別の回で検討しましょう)。
知識労働とは、まさしく「頭をはたらかせ、あたらしいことがらを、他の人にわかる形でまとめあげる」ような仕事です。知識があることが前提ですが、それだけで成立するわけではありません。その知識が使えることが必要ですし、もっと言えば、そうした知識を用いて新しい知識を生成することが肝要なのです。
知識労働者にとって、知識は自分が使うリソースでありながら自分が従事する存在でもあります。知識を仕事にする、知識で仕事をする、知識に仕事をする。これらの複合が「知識労働」であると考えれば、現状のGenerative AIが知識労働を奪ってしまう心配はありません。むしろそうした「知識労働」を進めていくための強力なサポートになってくれるでしょう。
その意味で、今後は次のような状況がはっきりと露呈してくるでしょう。つまり、日本企業は「知識労働」をどれだけしていたのか、と。その事実がいやおうなしに突きつけられるようになると思います。
(メルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』2023年3月27日号より一部抜粋)
この記事の著者・倉下忠憲さんのメルマガ
image by: Shutterstock.com