あまりにも無防備。日本が韓国に半導体のシェアを奪われたワケ

 

この半導体産業にこそ、韓国の模倣技術の高さと日本の脇の甘さが、如実に表れています。韓国の半導体業界は、日本の半導体技術を模倣し、日本のシェアを奪うことで発展してきました。

半導体の勢力図を見ると、20年前からアメリカが世界シェアのだいたい50%を占めており、それは今でも変わりません。が、20年前には、30%程度のシェアを持っていた日本は、今ではわずか7%にまで落ち込んでいます。その一方、20年前はほとんどシェアを持っていなかった韓国が20%を超えるシェアを持つようになったのです。

日本と韓国は、半導体の種類や製造過程が似ています。そして日本とアメリカでは、半導体の種類や製造過程があまり似ていません。つまり、韓国の半導体は、明白にアメリカではなく日本の持っていたシェアを奪うことによって発展しているのです。

半導体産業凋落のきっかけ

日本の半導体産業の凋落は、1986年に結ばれた「日米半導体協定」から始まりました。1980年代、日本がアメリカから世界の半導体シェアを奪っていったことで、アメリカは日本に強力な圧力をかけるようになりました。

そして日本に対して「安全保障上の問題がある」と威嚇し、アメリカ市場へのこれ以上の参入を妨害しはじめのです。日本はアメリカの圧力に屈し、半導体取引において自主規制をすることになりました。それが「日米半導体協定」だったのです。

この日米半導体協定では、「日本はなるべくアメリカ製の半導体を購入すること」など決められましたが、日本はこれを「努力目標」とするだけで、具体的な数値などは定めませんでした。アメリカはこの日本の態度に業を煮やし、日米半導体協定締結の1年後に、3億ドルの報復関税を実施しました。日本製のテレビやパソコンなどに100%の高関税を課したのです。

アメリカのこのやり方は、最近、中国のファーウェイ製品などを締め出したのと同様です。日本は、アメリカの強硬姿勢に屈し、仕方なく半導体の輸出を控えるようになりました。その結果、日本の半導体シェアは見る間に落ちていったのです。

1990年代に入ると、日本の半導体産業のシェアは大きく落ち込み、技術力でもアメリカに後れをとるようになっていました。メーカーとしても輸出を増やせないので、それほど技術開発や設備投資をするわけにもいかなかったからです。

そして、1990年代半ばには、アメリカにとって日本の半導体産業はそれほど脅威ではなくなっていました。またパソコンのシステムソフトのWINDOWSの開発などにより、必要とされる半導体の種類が大きく変わり、日本の半導体メーカーたちは大規模なリストラを迫られることになりました。

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