一定数以上の規模の事業主に課される障害者雇用義務。その意義を理解し、積極的に雇用しようとする企業も増えていますが、マッチングは簡単ではありません。複合的な障がいを抱えている人の場合はなおさらです。今回のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』では、生きづらさを抱えた人たちの支援に取り組み、「就労継続支援B型事業所」を運営する引地達也さんが、8年にわたり一緒に就職先探しを続けた当事者のケースを紹介。何度不採用となっても就職活動をやめようとはせず、苦手な掃除の仕事にも挑戦しようとしていた矢先に病で亡くなってしまった彼との交わりを振り返っています。
挑み続けた夢の中での突然の死
真夏の炎天下にスーツを着てネクタイを締めてさわやかな顔をして過ごすのはもはや修験道の苦行である。この8年間、就職を目指すある40代の男性当事者は季節限らず自分が出来そうな仕事があれば、応募書類を出し続け、書類が通れば面接を受け続けた。真夏でもスーツを着込み、同行する私も同じく正装し、2人で滝のような汗を流しながら面接に臨み、そして落選を続けた。
複合的な障がいがあるこの当事者は、障がい者雇用の枠組みの中でも企業側にはある程度配慮を要する必要がある方ではあったが、本人の就職の熱意は強かった。その思いに応える企業と、二人三脚で対応していこうとの思いを持って私もその二人三脚の相手を探すつもりで挑み続けた。
時には実習にこぎつけ仕事の現場で「お見合い」をするケースもあったが、結局コミュニケーションの問題などで1日か2日で挫折し、実習も貫徹できない経験を繰り返した。そして、もう少しハードルを下げて、就労を考えてみようと方針を変更した数日後、彼は帰らぬ人となった。
父親から示された死亡確認書に記載された死因は「脳内出血」。自宅で倒れ、病院に運ばれた後も意識は戻らず翌日、死亡が確認された。倒れてからほんの数日で彼は遺骨となって小さな箱に収まった。
一般企業への就労をひたすらに目指してきた中で、掃除が苦手なため清掃作業を伴う仕事を避け続けてきたところから、最近は掃除の実習もしてみてもよい発言が出てきていた。私の頭の中では丁寧にケアをしてくれる掃除の仕事を、これまでのつながりから思いをめぐらし、具体的なプロセスを描いていた最中で、そのイメージは消えないまま、彼が亡くなってからも、シミュレーションは止まらない。
障がい者雇用でも、企業の対応が難しい人の場合には必ず存在する本人の希望と社会とのギャップ。それをどう埋めればよいかを考え続けてきた私として、常に頭の中にあった彼をすぐに消し去ることも難しいのかもしれない。
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