毒親だ!と子供から言われた親側のお話をしてきましたね。
「子供のためを思って」といいながら、例外者として自分を尊重することを異常に求める…要求するのではないかというお話でしたね。
人生での叶わなかった夢や未来を損失ととらえ、それを子供のせいにしているために
- この子のために、キャリアも自由も楽しみも諦めているんだから
- この子が私を尊重してくれるのは当然だ
と考えているように思われます。あ、私の考えですよ。そうじゃない理由や原因の毒親もいると思いますが。
もしこの推論が当たっているなら、毒親にならないためには、
- 自分の人生を充実させること
ということになります。叶わなかったことや諦めたことがたくさんあると、その損失に目がいってしまいますが、充実していれば、そうはならないはずです。尊重を要求すべき理由がなくなっちゃうからです。
たしかに実感としても、自分の人生に折り合いをつけて幸せそうな人は毒親にならないんじゃないかと思えますね。
ま、もっとも、これは親側の人生をどうするかの問題です。
他方、子供に対しては、親が
- やれることはもうなにもない
と思います。残念ですが。
親に向かって毒親と詰るほどになるまでには、子供には子供で相当の葛藤があったはずです。恩義にも愛情も執着もあるのに、
- それを上回るほどの怒りと無念がなければ
自分の親を毒親だなどと言えませんよ。
別の言い方をすれば、親がいう
- (ちょっとした)暴言暴力<育ててやった恩義
は成立せず、子供にとっては
- (絶大な)暴力暴言>育ててもらった恩義
だということです。
むしろ毒親と謗ることで、親から完全に独立し、自分の人生を歩き出そうとしているのです。
その意味で、親からの
- 謝罪は、状況による
でしょう。自分のしたことや相手がどれほど傷ついたかを自覚して心から謝罪できるならともかく、そうでないならしても意味がないんじゃないでしょうか。
もはや静観し、自分から離れていく子供を
- 黙って見送る
しかないのではないかと思います。
これからは子供と関係のない人生を、自分の力で充実させていくことです。子供から完全に離れた人生を送ることで、初めて
- 子供との距離ができる
はずです。そうしてこそ、自分がやったことが小さい子供にとってどんな衝撃だったのかも反省し始められるのではないでしょうか。
決して呼ばれたくない名、毒親。そこまで子供を追い詰めたことを振り返り、子供から静かに離れましょう。どれほど愛していても。
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