何より難しいのは、美醜である。
これは、確実に指導しないと身に付かない。
講師の多賀先生が指摘している通り、醜い言葉の方は生活にいくらでも溢れている一方で、美しい言葉の方は教えないとわからないからである。
月の異名なども美しい言葉の一つである。
11月を「霜月」と呼ぶなど、四季の豊かな日本ならではといえる。
霜を踏む時のサクサクとした感触と音から、子どもも四季を肌で感じ取るはずである。
(温暖化の影響で、四季から二季になりつつあるというが、これは文化的に見ても問題である。)
国語の授業においては、この言語感覚を磨くことを忘れないことである。
またそのためには、言語姿勢が大切であるという。
言語姿勢とは
- 言葉が理解できるまで、納得できるまで、調べようとする姿勢
- 言葉に興味関心を持ち、言葉を楽しもうとする姿勢
- 短歌、俳句、川柳などに親しみ、自らも創作しようとする姿勢
であるという。
どれも、意識さえすれば国語の授業で身に付けることができる力である。
逆に言えば、意識しなければ全ては流れる。
国語の力が全くつかずに育つ可能性も出る。
教師の側の学びが全てである。
そして講師の多賀先生曰く、「国語は形式教科である」という。
様々な文章の読み方をしっかりと教える必要がある。
子どもの感性に頼っているようではいけないのである。
まだまだあるが、今回はここまで。
国語の授業がどうにもならないという方には、必読の書である。
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