小学校では多くの教科を一人の担任が受け持つことになります。そのなかで、メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の著者で現役小学校教師の松尾英明さんは今回、国語と道徳に関しての学びを、とあるセミナーで得たとして、その内容をシェアしています。はたして、国語とは何を学ぶ授業なのでしょうか?
国語の授業で言語感覚を鍛える
久しぶりに、一参加者としてセミナーに参加してきた。
今日は「せっかくの自分の学びをシェアする」というこのメルマガの原点に立ち返って書く。
国語と道徳の授業についてである。
講師は、多賀一郎先生。
今回の内容は、次の著書に詳しい。
『ICT時代の国語教育の考え方・進め方』多賀一郎著 黎明書房
ネット上ではまだ予約注文段階だが、直接ご本人から購入したので既に全て読んだ。
国語の先生の本だけに、言葉に一切の無駄がなくすらすらとすぐに読める。
国語のテーマは「言語感覚と言語姿勢を育む国語授業」である。
言語感覚とは何か。
次の3つの言葉に集約されるという。
正誤
適否
美醜
この3つを瞬時に判断する力が、言語感覚であるという。
「直感的な判断力、感覚的に言葉をとらえる力」である。(前掲書より)
まずは、正誤と適否。
言語においては、誤った使い方が横行している。
むしろ、もはや誤った使い方が広がりすぎて、市民権を得て定着してしまっているものもある。
「千円からお預かりします」や「おビール」「とんでもございません」など、丁寧にしているつもりの変な言葉もそうである。
動詞の「着替える」は「きかえる」が本来の読み方だが、「きがえる」が定着していて、もはやそっちが常識である。
(名詞としての「着替え」の読み方は「きがえ」なので、恐らくそのせいである。)
本の中でも書かれているが、「一所懸命」と書いたのを若い方に「誤り」として指摘されたという笑い話をされた。
ここから派生した「一生懸命」の方が一般的に定着しているからであり、さもありなんというところである。
言葉は生きものであり、変化するという前提があるので、ある面では仕方がないともいえる。
適否については「どちらがよりよいか?」という視点も必要である。
「どちらでも使えるがこちらの方がよりよい」というものもかなりある。
例えば講師の先生に対して「参考にさせていただきます」というのは、誤りではないかもしれないが、適当とは言い難い。
(この点は、多分向山洋一氏の著書からの学びだったと記憶している)
「参考にさせていただきます」は、「参考程度」ということと同義である。
相手の知に対する敬意として、かなり軽いのである。
しかし、それを認識して言われている側は、そんなこと思っていないだろうことは百も承知なので、指摘しないだけである。