阪神・淡路大震災から29年。能登半島の避難所に「経験」は生きているのか?

 

阪神大震災以降の経験の積み重ね

阪神大震災の時の避難所は、基本的には「何もない」という感じでした。不謹慎ですが、私個人では、現在の避難所における様々な言説や不満は「当時に比べれば何を言っているのか」というような感じです。

まずは何よりも「水がある」ということです。当時阪神大震災では、その様な大規模な震災や災害が起きるとは全く思っていなかったので、基本的には何の準備もなかったと言えます。その意味では水などもなかったということになり、また、食料や毛布の備蓄もありません。

たまたま近くにあった上島珈琲が倉庫を解放してくれたので、UCCコーヒーは飲めたのですが、甘くない飲み物を飲みたいと毎日思っていたものです。

現在は「避難所でのプライバシー」などということを言いますが、しかし、当時は何もなく、段ボールで仕切りを作るなどということもありませんでした。

そのうえ、トイレです。当時は水洗トイレしかなかった上に水が止まっていましたから、トイレは非常に汚い状態になっていました。現在「衛生面で問題がある」などということが言われていますが、しかし、当時はそのような指摘をしてくれる人もいなかったので、結局トイレの外まで排泄物が流れ出てきても、誰も手を出せない状態だったのです。

あの阪神大震災が1995年1月17日ですから、それ以降様々な地震や災害があり、その災害に関して様々な内容が行われていたということになったのではないでしょうか──(『宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話』2024年1月15日号より一部抜粋、続きはご登録ください)

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image by:amata90/Shutterstock.com

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