阪神・淡路大震災から29年。能登半島の避難所に「経験」は生きているのか?

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1995年1月17日の阪神・淡路大震災発生から29年。その間にも東日本大震災、熊本地震、北海道胆振東部地震と日本各地で大きな地震を経験してきました。そして、今年元日に発生した能登半島地震では、いままさに不自由な生活を強いられている被災者が多くいます。避難所で過去の震災の経験はどう生かされているのでしょう。今回のメルマガ『宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話』では、阪神大震災で避難所生活を経験しているジャーナリストで作家の宇田川敬介さんが、当時の避難所の酷い有り様を紹介。地震ごとに固有の新たな課題はあっても、比較することで経験の積み上げを伝えています。

阪神大震災と能登半島地震の避難の様子

なぜ阪神大震災と比較するのか

さて今回は「阪神大震災と能登半島地震の避難の様子」と題して、今年の1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」と「1997年阪神大震災」との内容を比較して、その避難の様子を見てゆきたいと思います。

単純に比較をすることは、神戸と能登半島ということから、人数的にも物流という意味でも全く異なると思いますので、基本的には単純に比較することはナンセンスであると思います。

当然に避難所の規模も異なりますし、またそこまでの物流ルートも異なります。しかし、例えば東日本大震災の時と能登半島地震を比べれば、震災犠牲者においてその構成が全く異なります。

東日本大震災は津波による犠牲者が多いのに対して、能登半島地震は建物の倒壊による圧死がほとんどです。その様に考えれば、被災地の態度も全く異なるということになります。

つまり、東日本大震災の場合は、その被災地のほとんどが海水に使っており、水分が多く人が避難できる状態ではないということになります。つまり、被災地と避難場所が離れてしまうということを意味しているということになるのです。

しかし、能登半島地震と阪神大震災の場合は津波が起きないもしくは規模がそれほど大きくなく、ほとんどが建物の倒壊による「圧死」が犠牲者ということになります。そのことは、「避難先」が「被災地のすぐ隣であっても頑丈で安全性が確認された建物であれば非難ができる」ということになるのです。

逆に言えば、余震などで津波が再来するということはかなり少ないと言えますが、しかし、地震による揺れは、余震によって再来するだけではなく、すでに様々なところの強度が少なくなっている建物が余震によって倒壊する可能性があるということになります。要するに「余震」に対する警戒感もかわってくるということになるのです。

このように考えれば、阪神大震災と今回の能登半島地震の類似性はありますが東日本大震災との違いはかなり大きいということになるのです。

その様な理由から、阪神大震災と能登半島地震を、規模の違いや県民性などに留意しながら、またはその経験値を考慮しながらその内容を比較してみたいと思います。なお、御存知の方もいますが、阪神大震災に被災し、その経験をしていますので、その内容を現在の内容と比較してみたいと思います。

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