変わるニュースの当たり前。報道されなくなった震災犠牲者の「名前」

 

新型コロナウイルスの患者や死亡した方々の名前もやはり、周辺への二次被害や差別などの可能性から名前を積極的に出すことはなかった。それが、社会全体を不気味に「怖さ」を助長した面もある。名前をどのように扱うか、私たちの社会を誰もが住みやすくするために、まだ答えは出ていないような気がする。

名前がある人とのつながりの中で、私たちは生きているところから考えなければいけない時に、その名前を「公」にするには、どのような場合なのか、隠すことが最善なのか、誰もが自分の名前を恐れなく発出する世界はできないのか。フェイスブックの創造と発展、そして衰退傾向は1つの研究としては興味深い。そして、まだ答えは出ていない。

私が日常的に障がいのある人の関わりで、第三者に障がい者を説明する際には、その「障がい者」には、顔も名前もない情報を出すのが常識である。当事者を守るための行動であるが、そこから実態を想像するのは難しい。具体的な情報がなければコミュニケーションは耳感想で硬直化してしまう。

当事者と直接会うことで、コミュニケーションがより活発に、そして有効化するのと比較するとそれは分かりやすく、名前のないメディア社会は無味乾燥化の一途をたどることになる。

今後、被災地ではボランティアが活躍することが見込まれるが、多くが被災地で被災者と触れ合い、名前を呼び合う時、苦悩の中でも幸せが生まれるのが、常に被災した場所で生まれる希望である。そう考えると、匿名性からは真のケアは生まれにくいのである。

ボランティアの文化は確実に根付き始めている。だからこそ、名前のある人どうしの対話を深め、誰もが生きやすくするために、メディアが名前をどう扱うのがよいだろう。誰もがある名前を隠さずに生きていける社会にするために、考え続けよう。

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image by:Nikox2/Shutterstock.com

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特別支援教育が必要な方への学びの場である「法定外シャローム大学」や就労移行支援事業所を舞台にしながら、社会にケアの概念を広めるメディアの再定義を目指す思いで、世の中をやさしい視点で描きます。誰もが気持よくなれるやさしいジャーナリスムを模索します。

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