単なるゴシップ紙だった『りんご日報』は、いつ“香港民主化の砦”になったのか?

 

また中国の動きについて気になったのは、「どのタイミングで共産党が動き、そのきっかけは何だったのか」である。また林鄭月娥長官(当時)を中心とした香港の権力層との間でどのような駆け引きがあったのか、だ。

中国が「何を問題視したのか」を知る上で重要なのが『りんご日報』の果たした役割であり、黎智英氏が問われる罪と重なる点だ。現状『りんご日報』といえば香港の「言論の自由」を守るため中国の支配に抵抗したメディアというイメージが強いが、これは長年中国政治をウォッチしてきた者たちには違和感がある。当初の印象は「信用できないゴシップ紙」であったからだ。

中南海を覗き見るための一つのツールでありながら、玉石混淆と呼ばれた香港情報にあっても、明らかに「石」に分類されてきたメディアだった。その『りんご日報』がどの時点で香港民主化の砦となっていったのか。17日に西九龍法院に登場した検察側の証人・張剣虹氏(『りんご日報』の親会社の「ネクストメディア」の元CEO)が、その点を詳しく証言したのは興味深い。

香港TVBが伝えた張氏の証言によると、「『りんご日報』が民主主義と普通選挙を呼び掛けるようになったのは2014年の香港デモ(セントラル占拠行動)がきっかけ」だという。張氏は当時、『りんご日報』の編集長を務めていて、それまではもっぱらゴシップ紙だったと語った。

黎氏の編集へのコミットは、具体的には、毎週木曜日に編集各部門のトップが交代で黎氏をトップとする幹部とミーティングを行い黎氏の編集に関する決定を聴き、全部門に通知するというシステムだったという。

19年、黎氏は「逃亡犯条例は香港の自由と人権を侵害する」と訴え「反政府運動を呼びかけた」という。香港TVBはこれを「黎氏にとって極めて不利な証言」と報じた。これに先立つ2日と3日の冒頭陳述では、黎氏が外国勢力と結託していたという具体的な内容が読み上げている──
(『富坂聰の「目からうろこの中国解説」』2024年1月21日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)

この記事の著者・富坂聰さんのメルマガ

初月無料で読む

image by:Lewis Tse/Shutterstock.com

富坂聰この著者の記事一覧

1964年、愛知県生まれ。拓殖大学海外事情研究所教授。ジャーナリスト。北京大学中文系中退。『週刊ポスト』、『週刊文春』記者を経て独立。1994年、第一回21世紀国際ノンフィクション大賞(現在の小学館ノンフィクション大賞)優秀作を「龍の『伝人』たち」で受賞。著書には「中国の地下経済」「中国人民解放軍の内幕」(ともに文春新書)、「中国マネーの正体」(PHPビジネス新書)、「習近平と中国の終焉」(角川SSC新書)、「間違いだらけの対中国戦略」(新人物往来社)、「中国という大難」(新潮文庫)、「中国の論点」(角川Oneテーマ21)、「トランプVS習近平」(角川書店)、「中国がいつまでたっても崩壊しない7つの理由」や「反中亡国論」(ビジネス社)がある。

有料メルマガ好評配信中

  初月無料お試し登録はこちらから  

この記事が気に入ったら登録!しよう 『 富坂聰の「目からうろこの中国解説」 』

【著者】 富坂聰 【月額】 ¥990/月(税込) 初月無料 【発行周期】 毎週 日曜日

print
いま読まれてます

  • 単なるゴシップ紙だった『りんご日報』は、いつ“香港民主化の砦”になったのか?
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け