単なるゴシップ紙だった『りんご日報』は、いつ“香港民主化の砦”になったのか?

Hong,Kong,-2020,August,11:,New,Published,Apple,Daily,Newspaper
 

中国政府に批判的な論調を展開し、香港デモで重要な役割を果たしたとされる『リンゴ日報』の創業者・黎智英氏の裁判が昨年末から始まっています。日本のメディアは、欧米の政府が裁判そのものを批判していることは伝えても、香港の検察側の主張を伝えることはほとんどありません。今回のメルマガ『富坂聰の「目からうろこの中国解説」』では、多くの中国関連書を執筆している拓殖大学の富坂聰教授が、検察側の証人の証言を紹介。「信用できないゴシップ紙」が、香港民主化の砦になっていく過程が明らかになった点に注目し、中国が「何を問題視したのか」探っています。

香港デモの首魁と北京がみなす『りんご日報』創業者の裁判 詳細を日本のメディアはなぜ伝えないのか

台湾の総統選挙で日本のメディアが盛り上がった裏で、香港では2019年の反香港政府・反中国デモに絡む重要な裁判が始った。北京がその首魁と目す『りんご日報』の創業者・黎智英(ジミー・ライ)氏の公判で2日が冒頭陳述だった。

日本では検察側の主張の詳細が伝えられることはない。もっぱら言論の自由を守る橋頭保としての『りんご日報』VS香港司法に終始し、裁判がいかに茶番であるかを伝えている。香港当局も、まるでメディアに材料を提供するように「民間人の陪審員を排除」し、「英国人弁護士の出廷を拒否」した。

だが、対立軸で香港デモを語ることには限界がある。私は中国報道にかかわって40年、ほぼすべてのデモを現地で取材してきた。なかでも1986年12月、新中国の歴史で初めて学生が「民主」を求めて行動を起こしたデモでは、自身が学生だったこともあり一緒に声を上げた。

このときの運動が後に天安門事件へと繋がっていったのだが、こうしたデモの現場に深く入れば入るほど、見たくないモノもたくさん見て、知りたくないコトにも多く遭遇した。報道機関が描くナラティブに収まるようなデモには遭遇したことはない。

天安門事件の翌年、北京で某通信社の支局長と話をしているとき、学生運動のリーダーたちの内紛や外国とのつながり、金銭をめぐる疑惑に話が及んだことがあった。そのとき私は「なぜそれを書かないのか?」と支局長に尋ねたことがある。返ってきた答えは「誰もそんなストーリーは望んでいない」というものだった。

まさに中国ナラティブの典型例だが、これは反日デモでは「中国共産党(共産党)が裏で糸を引いている」という物語となってしまうことにも驚かされた。真相はむしろ逆(共産党は理由が何であれ人々が集まって騒ぐことを警戒する)なのだが、最後には「中国人は好きだが共産党は嫌い」という世にも不思議な理屈が日本で広がったのだった。

残念だが香港のデモについては直接自分の目で確かめることはできなかった。しかし、デモの実相が日本で報じられるような単純なものではないことは容易に想像できた。経済的な要因やアメリカが果たした役割、またデモ隊内部での権力争いといった要因や個々人の利害の衝突など、整理しなければならない要素は少なからず見つかったからだ。

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