「オモウマい店」がその象徴。見返りを期待しない“贈与経済”がすべての人を幸せにする

 

3.赤字でも嬉しそうなオモウマい店

「オモウマい店」というテレビ番組がある。オモウマいとは、「オモてなしすぎでオモしろいウマい店」を略したもの。番組では、超大盛の料理が次々と紹介される。店主に「儲かっていますか」と聞くと、多くの場合、「いやあ、赤字ですね。でも、お客さんが喜んでくれるのが嬉しいんですよ」という答えが返ってくる。中には、低価格で大盛のランチを継続するために、アルバイトしている人もいる。他の仕事で得た利益をランチの食材に使っているのだ。

どう考えても、これは贈与経済だ。見返りを期待せずに、贈与している。そして、店主は全員愉しそうにしている。

赤字の仕事が辛いのならやめた方がいい。赤字でも愉しいから続けている。ある意味、自分の生活を犠牲にして、顧客のために奉仕しているのだ。最早、宗教的な行為のように感じる。

自分の行為で誰かが喜んでくれる。こうした喜びを感じるのは、農業を基本としたムラ社会ならではの発想ではないか。

狩猟社会は基本的に個人主義だ。自分の獲物を家族以外の誰かに贈れば、相手は喜ぶ。しかし、それが自分の喜びになるのか。余剰の獲物を売れば、その売上で他のモノを入手できる。その可能性を潰してまで、無償で獲物を誰かに贈ることはしないだろう。

日本では、「困っている時はお互いさま」という言葉がある。若い運動部員が腹を空かせていれば、腹一杯まで食べさせたいと思う。これもオモウマい店で良く出てくる逸話だ。「自分も学生の時に腹を空かせていた。食堂で大盛サービスしてもらった時は嬉しかった。だから、お客さんにも腹一杯食べて欲しい」と言うのだ。

オモウマい店の店主と顧客は同じ共同体で生活する仲間だ。勿論、飛び込みの客にもサービスをするが、飛び込みの客でも共同体の仲間なのだ。

4.生産性が低くても幸せになれる

日本全国の食堂が全てオモウマい店になったら、日本のGDPは下がるだろう。中小零細企業は生産性が低いと責められ、淘汰されるべきと言われるかもしれない。しかし、GDPが下がっても、生産性が悪くても、顧客は喜ぶし、自分も嬉しい。

日本の大企業は貨幣経済、資本主義経済で生きている。しかし、庶民は資本主義経済と贈与経済が混合した世界で生きている。資本主義経済が強まると幸せを感じられない。贈与経済の比率があがり、義理人情が重んじられる世界の方が幸せを感じられるのだ。

そもそも生産性とは何か。資本主義における生産性とは株主へのリターンを増やすことではないか。外国人投資家に支配されている企業が多い日本で、株主の利益を重視することは国の利益を外国に移すということだ。

中小企業が生産性が低いのは、下請け工賃が低く抑えられているからだ。その分の利益は、大企業が吸収し、外国人投資家に流れている。

日本経済は資本主義経済と贈与経済の二重構造である。お金のために働く人と、自分の喜びのために働く人が共存している。資本主義経済におけるボランティアは、経済的に余裕のある人が慈善として行うものだ。しかし、贈与経済におけるボランティアは、「困っている時はお互い様」と考える人によって支えられている。ボランティアで汗を流す人は、経済的余裕があるわけではない。むしろ、それほど豊かではない人が多いと思う。

そう考えると、日本は贈与経済の比率を上げるべきか。それとも、もっと徹底した資本主義経済を志向するべきなのか。

これは国の進路に対する大きな選択肢だ。しかし、政治家、資本家、マスコミ、学者、評論家等の比較的豊かな人々は、贈与経済を理解することはできないだろう。オモウマい店で食事をすることもないだろうし、他人に喜んでもらうことを自分の喜びにすることもないだろう。

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